国鉄勝田線
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勝田線(かつたせん)は、かつて福岡県福岡市博多区の吉塚駅と、同県糟屋郡宇美町の筑前勝田駅を結んでいた路線のこと。
概要[編集]
1918年(大正7年)に筑前参宮鉄道によって開業。戦中の交通統制令て西鉄に合併後に戦時国有化された。
炭鉱輸送衰退後、第1次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)をもって全線廃止された。
使用車両[編集]
廃止直前にダイヤ改正されるまではDE10による客車列車も運用されていた。また、気動車にはキハ10系やキハ20系、キハ58系を中心に運用され、更に晩年には新車のキハ47も運用された。
廃止直前の運行形態[編集]
1日7往復のみの運用で、うち1往復は志免発着となっていた。
理不尽な廃線理由[編集]
「勝田線は赤字ローカル線として廃線となった」と聞いて違和感を覚える人も多いかもしれない。勝田線は大都会博多近郊を走る路線であり、需要がなかったとは言い切れないのである。実は、勝田線はもともと貨物列車中心の路線であり、通学需要以外の旅客列車が軽視されて不便だったのである。そのため、並行して走る西鉄バスに客を吸い取られて輸送密度が低くなってしまっていた。
普通、このような状態ならJR武蔵野線や後年の学園都市線のように改修を行って便利にするのが最善[注 1]なのだが、当時の国鉄が財政難だったこと、福岡市を始めとする周辺自治体が平面交差解消のため路線廃止の圧力をかけたことにより、改善もろくになされぬまま廃止となってしまった。
近年では西鉄バスの方が交通渋滞に悩まされる始末となっている。このため現在でも、勝田線廃線に対しては批判の声が大きい。これに関しては、JRとしての復活が難しければ福岡市営地下鉄空港線を延伸開業させて上亀山以東を事実上復活させるのも手と思われる[注 2]。
注[編集]
- ↑ 同様に国鉄分割民営化前は並行する路線バスに押されていた可部線はJR化後にJR西日本屈指の優良路線に成長している。
- ↑ 同様の手法で定山渓鉄道線の澄川 - 真駒内、南海天王寺支線の今池町以南、南海平野線の阿倍野以東も、それぞれ札幌市営地下鉄南北線、Osaka Metro堺筋線、Osaka Metro谷町線として事実上残された。
関連項目[編集]
- JR筑肥線 - 同じく、理不尽な理由で一部廃止となった不遇路線
- JR香椎線 - 勝田線と同時に戦時国有化で西鉄から買収された路線。和白で西鉄と平面交差していた時期もある。
- JR名松線
- 伊勢鉄道伊勢線 - 名松線と対照的に三重県内でJRで残らなかった路線。
- 東海交通事業城北線 - 特定地交線に準じた公団凍結線にも指定されなかった鉄道路線。
- 弥彦線東三条〜越後長沢間 - 特定地交線に指定されなかったのに、赤谷線など特定地交線の廃止のドサクサに紛れて廃止された区間。
特定地方交通線/公団凍結線/その他国鉄工事線 |