国葬
国葬(こくそう)とは、国家に対して功労のあった人物が死去した際に国費を使用して国の儀式として執行する葬儀のことである。国民葬とは異なる。
概要[編集]
外国の国葬[編集]
外国で行なわれる国葬はアメリカの大統領などの政治家や、インドのマザー・テレサ、台湾のテレサ・テン、ブラジルのアイルトン・セナなどその国家において国民的英雄が国葬にされる例もある。
外国で国葬が行なわれた日本人[編集]
- 安達峰一郎(オランダ王国)
- 近藤常子(旧ユーゴスラヴィア)
- 西岡京治(ブータン王国)
日本の国葬[編集]
日本における国葬は政治家や軍人、皇族などが対象とされる。名を挙げれば伊藤博文、山縣有朋、松方正義、西園寺公望、吉田茂などの内閣総理大臣経験者など著名な政治家が多い。
そして吉田茂の死去後に実施された昭和42年(1967年)以降、平成期も国葬は行われなかったが[注釈 1]、令和になって安倍晋三の国葬が2022年に行われた。これは、国会の審議を得ずに閣議のみで決定され[1]実施された。
なお、国葬と言われると荘厳で盛大であると思われがちだがそうでもない。
大正11年(1922年)に山縣有朋の国葬が行なわれた際、実は同時期に死去した大隈重信の国民葬[注釈 2]も行なわれた。山縣は晩年に宮中某重大事件を起こしたり、それまでが陸軍の実力者として専制的なところもあったために不人気で、参列したのが陸軍や警察関係者だけだったのに対し、大隈の国民葬には各界の著名人など30万人が一般参列するなどの人気ぶりで、余りに対照的すぎた。そのため当時は新聞記者をしていた石橋湛山が山縣の死去を「死もまた社会奉仕」と評し、別の新聞では「民抜きの国葬」と酷評される始末だったという。
令和期の安倍晋三の国葬も、反対意見が賛成意見より多く[2]、また、国葬賛成デモと反対デモが衝突するなどのことも起きていた[3]。国葬反対署名及びデジタル献花に対しては多くの人々が参加した[4][5]。また、酷葬とも酷評されたりした[6]。
日本で国葬が行なわれた人物の一覧[編集]
太字は内閣総理大臣経験者。日付は国葬が行なわれた日を指す。
年月日 | 地位や役職 | |
---|---|---|
1883年(明治16年)7月25日 | 岩倉具視 | 右大臣、政治家、明治維新の功労者 |
1887年(明治20年)12月18日 | 島津久光 | 公爵、左大臣、薩摩藩の国父、明治維新の功労者 |
1891年(明治24年)2月25日 | 三条実美 | 公爵、太政大臣、明治維新の功労者[注釈 3] |
1895年(明治28年)1月29日 | 有栖川宮熾仁親王 | 陸軍大将、参謀総長、皇族 |
1895年(明治28年)12月18日 | 北白川宮能久親王 | 陸軍大将、近衛師団長、皇族 |
1896年(明治29年)12月30日 | 毛利元徳 | 公爵、参議、元山口藩主 |
1898年(明治31年)1月9日 | 島津忠義 | 公爵、参議、旧鹿児島藩主。久光の嫡子 |
1903年(明治36年)2月26日 | 小松宮彰仁親王 | 元帥、陸軍大将、皇族 |
1909年(明治42年)11月4日 | 伊藤博文 | 公爵、初代・第5代・第7代・第10代内閣総理大臣、明治維新の功労者、元老 |
1913年(大正2年)7月17日 | 有栖川宮威仁親王 | 元帥、海軍大将、皇族 |
1916年(大正5年)12月17日 | 大山巌 | 公爵、元帥、陸軍大将、内大臣、元老、明治維新の功労者 |
1919年(大正8年)3月3日 | 徳寿宮李太王熈 | 韓国の王族、韓国皇帝(高宗) |
1922年(大正11年)2月9日 | 山縣有朋 | 公爵、元帥、陸軍大将、第3代・第9代内閣総理大臣、元老、明治維新の功労者 |
1923年(大正12年)2月14日 | 伏見宮貞愛親王 | 元帥、陸軍大将、内大臣、皇族 |
1924年(大正13年)7月12日 | 松方正義 | 公爵、第4代・第6代内閣総理大臣、元老、明治維新の功労者 |
1926年(大正15年)6月10日 | 昌徳宮李王坧 | 韓国皇帝(純宗) |
1934年(昭和9年)6月5日 | 東郷平八郎 | 侯爵、元帥、海軍大将、連合艦隊司令長官 |
1940年(昭和15年)12月5日 | 西園寺公望 | 公爵、第12代・第14代内閣総理大臣、明治維新の功労者 |
1943年(昭和18年)6月5日 | 山本五十六 | 元帥、海軍大将、連合艦隊司令長官 |
1945年(昭和20年)6月18日 | 閑院宮載仁親王 | 元帥、陸軍大将、参謀総長、皇族 |
1967年(昭和42年)10月31日 | 吉田茂 | 外交官、第45代・第48代・第49代・第50代・第51代内閣総理大臣 |
2022年(令和4年)9月26日 | 安倍晋三 | 第90・96~98代内閣総理大臣 |