山本五十六

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ

山本五十六
やまもと いそろく
登場作品 海軍の昭和史など
性別 男性
時代 明治時代~昭和時代
生年月日 1884年4月4日
生誕地 新潟県
死没日 1943年4月18日
死没地 ソロモン諸島
ブーゲンビル島上空
死因 搭乗機撃墜による墜落死?
(致命傷について諸説あり)
肩書き 連合艦隊司令長官
墓所 多磨霊園
種族 人間
武器 刀剣軍刀
特技 博打将棋ポーカー
所属 大日本帝国海軍

山本 五十六(やまもと いそろく、明治17年(1884年4月4日 - 昭和18年(1943年4月18日)英:Isoroku Yamamoto)とは、大日本帝国軍人

人物[編集]

新潟県長岡市出身。海軍兵学校卒業。日露戦争で砲撃を受けて指を負傷。アメリカ合衆国で大使館付武官を経験した。太平洋戦争での帝国海軍の連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を発案、成功させた人物である。

格言としての「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」は結構有名。

特徴[編集]

「きわめて時間に正確」という特徴は米軍にまで把握されていた。

対米開戦反対派であり、持久戦になれば勝ち目はないと考えていたため、短期決戦、及び早期講話を提唱していた。このために選んだのが航空戦力による真珠湾攻撃であった。「鵯越の戦い桶狭間の戦い長篠の戦いをいっぺんにやるような奇襲でないと勝ち目はない」と言っていた。

最期[編集]

最期は1943年4月18日、太平洋戦争中に前線を視察しようと一式陸上攻撃機で移動中に米軍機に襲撃され戦死した(海軍甲事件)。

暗号が解読されてしまっていては狙い撃ちされるのもやむを得なかった。少なくとも零戦6機が護衛についていたようだが、P-38 ライトニング16機の襲撃からは守りきれなかった。

国葬で葬られている。

その他[編集]

  • 将棋ポーカーを好んだ。
  • 海外でも有名人らしく、キャラクターとしてゲームに登場したりする。
YouTube 動画リンク
  • 名言に含まれている「ほめてやらねば」という段階は、脳内報酬系のメカニズムを考えると理にかなっていると思われる。

演じた俳優[編集]


関連項目[編集]