吉田茂

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吉田茂(よしだ しげる、1896年生 - 1987年没)は、日本外交官政治家東京都生まれ。

生涯[編集]

東京大学卒業。中国の奉天(現在の瀋陽)総領事、外務次官。駐英大使などを歴任。太平洋戦争後に、外務大臣を務める。1946年に日本自由党総裁、次いで最後の大命降下による内閣総理大臣に就任。1948年1954年まで内閣総理大臣を務めた。戦後の日本の基本路線を定めた。内政では、官僚を多く国会議員に転身させ「吉田学校」を形成する一方、党人派三木武吉や三木に近い鳩山一郎と対立した。

外交では、親米政策を推進した。1951年サンフランシスコ講和条約に調印。同時に、日米安全保障条約(旧安保条約)に調印。

神宮皇學館後援会初代会長(1957年~)、皇學館大學初代総長(1962~1967年)、二松學舍大学第5代舎長(1963~1967年)も務めた。

親族[編集]

実父は政治活動家竹内綱。養父は実業家吉田健三。先妻は牧野伸顕の娘。元首相麻生太郎は外孫。