北条時章
北条 時章(ほうじょう ときあき、建保3年(1215年) - 文永9年2月11日(1272年3月11日))は、鎌倉時代前期から中期にかけての北条氏の一族。鎌倉幕府の評定衆・引付頭人。名越 時章(なごえ ときあき)とも言われる。名越流北条氏の初代当主・北条朝時の子。名越流北条氏の第3代当主。
生涯[編集]
父の死と宮騒動[編集]
初代執権の北条時政の曾孫。第2代執権・北条義時の孫。第3代執権・北条泰時の甥に当たる。父は北条朝時で次男。母は大友能直の娘。兄は光時。弟は時長、時幸、時兼、教時、時基らがいる。妻は二階堂行有の娘とも、あるいは二階堂行方の娘とも言われており定かではない。子に公時、頼章、篤時らがいる。通称は越後二郎、遠江式部大夫、尾張守、尾張前司など[1]。
嘉禎2年(1236年)7月20日に父が越後守から遠江守に遷任したため、時章もそれに伴い遠江式部大夫となる。暦仁元年(1238年)閏2月15日に大炊助、同月27日に式部少丞、9月1日に式部大丞に転任し、同日に従五位下に叙された[1]。
名越北条氏は北条義時の死後、第3代執権の北条泰時とその連署である北条時房を中心とする執権勢力に対し、朝時は中枢から疎外されて不遇だった。そのため、朝時は鎌倉幕府の第4代征夷大将軍である藤原頼経との関係を強めており、時章も父や兄の光時と共に藤原頼経の家臣として仕え、将軍出向時の随兵や御剣役などを勤めた[1]。
寛元3年(1245年)4月8日に父・朝時が死去したため、大隅の守護職を継承した。また4月8日に尾張守を任官し、以後はこの官途から名越尾張が通称となる。朝時が死去した頃には北条泰時や時房も死去しており、当時の執権である北条経時は若年の上に病弱だったため、朝時の後継者となっていた兄・光時は寛元4年(1246年)3月14日に信濃善光寺で父の供養を行なっているが、この供養に時章ら朝時の遺児も参加している。これは、藤原頼経の下に名越北条氏の一族を結集して経時ら得宗家勢力を打倒する密謀であったといわれている。既にこの頃、経時は重病の床にあったため、3月23日に経時は執権職を同母弟の北条時頼に譲っている。これにより鎌倉には諸国の御家人が集まり、異常な緊張状態となる。時頼は5月24日に鎌倉に対して戒厳令を出し、さらに名越北条氏と並ぶ将軍勢力の中心であった三浦氏との提携を図ったため、名越北条氏は孤立し、5月25日に光時や時幸は出家し、時章は弟の時長や時兼と共に時頼に対して野心無き旨を陳謝して屈したため、宮騒動は名越北条氏の敗北となった[1]。6月13日に光時は伊豆江間に配流され、名越北条氏の家督は時章が継承することになった[2]。
幕府の重鎮[編集]
時章は時頼ら執権勢力と協調し、また時頼も時章を北条一族の重鎮として要職に取り立てた。宝治元年(1247年)7月に評定衆に加えられ、建長3年(1251年)6月20日に3番引付頭人に任命される。建長5年(1253年)9月5日の時点では肥後や筑後、大隅など九州で3ヶ国の守護職を兼任している。康正元年(1256年)4月29日に2番引付頭人に任命され、弘長3年(1263年)11月22日に時頼が死去すると出家して見西と名乗り、以後は尾張入道と呼ばれるようになる[2]。なおこのとき、家督を次男の公時に譲った[3]。
その後も第6代執権・北条長時、第7代執権・北条政村、第8代執権・北条時宗(時頼の次男)の下で1番引付頭人に任命されるなど、北条一族の重鎮として重用され、時章も執権勢力とは協調し続けていた[2]。
二月騒動と最期[編集]
文永9年(1272年)2月7日、鎌倉で騒動が発生する[4]。そして4日後の2月11日、弟の教時と共に北条得宗家の御内人・大蔵次郎左衛門尉(大蔵頼季か?)らによって誅殺された[2]。享年58[2]。
時章の誅殺から4日後、時宗の異母兄で六波羅探題南方だった北条時輔が同探題北方の北条義宗によって殺害される事件が起きており、時章が殺害された事件と合わせてこれらを二月騒動という。これは元寇という国難が迫る中で、かつて反対勢力として未だに根強い勢力がある名越北条氏が時輔を擁して得宗家に反抗しようとするのではないかと疑われたため、とされている[2]。ただ、『鎌倉年代記』によると時章の嫌疑はその死後に晴れ、時章を討った御内人5名が後に斬首されている。このため、公時ら時章の子供らは連座を免れている。
ただし教時を討った者への処罰は無かったため、最初から時宗が教時もろとも時章も始末して、執権勢力の安定化を図ることが狙いだったのではないかと推測されている。執権の北条時宗には前年に嫡子の北条貞時が生まれており、北条得宗家の将来を確固たるものとするために不穏分子である名越北条氏の勢力を削減する必要があり、連署の北条政村にしても嫡子の北条時村が評定衆として幕府で重きを成しており、有力な北条一族を抑えておく必要があったものと見られている[5]。残されている関東御教書の日付などから手際があまりに良すぎるため、以前から準備されていたのは明白である[6]。
北条時章が登場する関連作品[編集]
- 『アンゴルモア 元寇合戦記』(2018年、声:楠見尚己)
- 『アンゴルモア 元寇合戦記』(ComicWalker - 角川書店)
- 北条時宗 (NHK大河ドラマ) - 2001年、演:白竜