テレビアニメ

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テレビアニメは、「テレビアニメーション」の略語。「TVアニメ」、「TVアニメーション」などとも表記される。但し、「テレビジョンアニメーション」はあまり使われない。

概要[編集]

アニメ元年[編集]

1話を30分で毎週放送する形態が一般的。ただし、この形態に当てはまらないアニメも多い。短い時間の放送の短編アニメ、単発の特別番組など形態は様々である。

日本で初めてアニメが製作・公開されたのは大正6年(1917年)の『芋川椋三玄関番之巻』である。同年には他にも数本のアニメ映画が公開されており、この年は日本のアニメ元年と称されている。ただ、時代が時代なこともあり、当時のフィルムの大半は行方不明となっており、このうちの1本が平成20年(2008年)に大阪で発見された。

太平洋戦争中の昭和18年(1943年3月25日には日本初の長編アニメである「桃太郎の海鷲」が封切りされる。これは当時の日本海軍が企画し、芸術映画社が製作した国策の戦意高揚アニメであり、モデルはこの1年半ほど前の真珠湾攻撃であり、桃太郎鬼ヶ島奇襲する内容で、国策映画の中では大ヒット作となった。

戦後に東映が東映動画(東映アニメーション)を設立し、劇場用アニメーションの製作に着手し、大体1年1本のペースで新作を公開するようになる。この時代はアニメを作るには時間と予算が必要という考えが一般的だったため、いくら映画に変わる新しいメディアとして脚光を当時は浴びつつあったが、テレビでアニメを放映するのは絶対無理だと信じられていた。当時はテレビで週に1本アニメの新作を作るなど不可能だと思われていたのである。

ところが、ここに新風を吹き込んだのがかねてからアニメ製作の夢を抱いていたあの手塚治虫であった。手塚は昭和36年(1961年)に「虫プロダクション」の前身となる「手塚プロダクション動画部」を設立し、自ら撮影技術を学ぶなどして、不可能と言われていた30分のテレビアニメ第1号となる『鉄腕アトム』を昭和38年(1963年1月1日から放映することに成功した。週に1本の放送を可能にしたのは、1度使った絵を再使用する「バンクシステム」や1秒=24コマをフルに動かす「フルアニメ」ではなく、止め絵を利用するなどの「リミテッドアニメ」など、独自の手法の開発によるところが大きかった。この『鉄腕アトム』の成功が日本におけるテレビアニメの隆盛、日本独自のアニメ表現にもつながった。『鉄腕アトム』は40パーセントという視聴率を誇る大ヒット作となり、東映動画、エムケン、東京ムービー(トムス・エンタテインメント)などの他社も続々とテレビアニメに参入してゆくことになる。

打ち切りから大ブームへ[編集]

『鉄腕アトム』のように視聴率がふるったアニメもあれば、視聴率が振るわずに打ち切り、すなわち早期終了に追い込まれたアニメも存在する。現在では名作・人気作として有名な『ルパン三世』や『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』などがそれである。これらは現在でこそ人気作として名高いが、放送された当時は実を言うとアニメがまだようやく軌道に乗り出した時期にあたったことから視聴率が振るわなかった。『ルパン三世』の第1作は日曜日の19時30分に放映される期待作だったにも関わらずである。なぜ、振るわなかったのかと言われると、当時はまだ「早すぎた名作」だったからだ。時代や人がその作品を受け入れるにはもう少し時間が必要だったわけである。ただ、早すぎた登場だったからこそ、その革新性が視聴者にインパクトを与えたわけで、この作品が再放送された際の熱狂的人気につながってゆく。

『ルパン三世』や『宇宙戦艦ヤマト』は放送終了後、学園祭における自主上映などでファンの地道な草の根運動で盛り上がり、『機動戦士ガンダム』の頃になるとアニメ雑誌というメディアが存在したため、その後の日本のアニメ史上に残る人気シリーズに成長して大ブームを形成した。さらに打ち切られたアニメが劇場化されてゆき、さらにブームは拡大してゆく。

1980年代になると、『イデオン』のようにテレビでは描かれなかった完結編を新作として見せるという作品も現れ、ファンのニーズに応えた。やがてその役目は1983年から始まったOVAが担ってゆくようになる。

アニメブームから社会現象へ[編集]

昭和52年(1977年)に『宇宙戦艦ヤマト』のテレビシリーズ再編集版が劇場版で公開された。『宇宙戦艦ヤマト』は前述の通り、3年前にテレビシリーズが放送されて視聴率が当時は振るわず打ち切りになった。ところが映画は大ヒットを記録し、これを契機にアニメブームが始まることになる。

実は、打ち切りになった作品の再編集版が劇場公開など当時としては前代未聞の試みであった。ところがテレビ放送以後もファンの間に強くヤマトに対する人気が続いていたので、これをバックにしてブームが訪れたのだ。当時、このブームを支えたのは主に当時の中学生高校生であった。テレビアニメを見て育った世代が、単なる受け手から何かしらの行動を起こせる年齢になったことも大きく、アニメブームはまさにそうした世代が起こしたムーブメントであった。これに便乗する形で、昭和53年(1978年)にはアニメ専門誌であるアニメージュ徳間書店から創刊された。専門媒体の誕生はアニメブームをさらに白熱させ、この年に公開された劇場オリジナルとなる『さらば宇宙戦艦ヤマト』は配収およそ21億円を叩き出す大ヒットを記録した。劇場前で徹夜するファンの存在が、新聞などでも取り上げられるほどであった。

昭和54年(1979年)には『銀河鉄道999』劇場版第1作が公開され、これは配収で16億5000万円で同年の邦画興行成績第1位を記録した。なお、この劇場版の主題歌も大ヒットして社会現象となった。

この頃になるとテレビアニメの本数が増加し、中高生のアニメファンをターゲットにした内容の作品も目立ち始める。『機動戦士ガンダム』がその作品のひとつである。

1980年代になると、アニメファンの中から作り手側に回る人間も生まれ始めた。つまり、アニメファンがアニメファンのために作った作品が登場することになり、昭和57年(1982年)の『超時空要塞マクロス』などはその代表作であった。

アニメ全盛期へ[編集]

前述したように、『ルパン三世』や『宇宙戦艦ヤマト』などは打ち切りになった後、再放送によってファンを獲得し、アニメブームが訪れる契機となった。ところが1980年代後半になると、アニメの再放送は次第に減少してゆく。再放送されるのは近年のものに限られ、古い作品を見る機会はビデオソフト化されたもの以外は姿を消してゆくことになった。

1990年代になると、都市型ケーブルテレビが普及し、地上波で少なくなったり見られなくなった昔のアニメ作品を見ることができるようになった。そして平成5年(1993年)には初のアニメ専門局であるキッズステーション(当時はレモンチャンネル)が開局した。これにより、朝から夜までアニメだけをやっているテレビ局が実現した[1]

平成8年(1996年)には現在のスカパーの前身となるパーフェクTVがスタートし、CSによるテレビ視聴が開始される。翌、平成9年(1997年)にはカートゥーン・ネットワークアニメシアターX、平成10年(1998年)にはアニマックスと続々とアニメ専門チャンネルが開局してゆく。他にもアニメ専門チャンネルではないがそれに匹敵するほどであるファミリー劇場も平成8年からスタートし、これらが現在の地上はキー局のBS、CSチャンネルで多くのアニメが放映される基になってゆくのである。

放送時間帯[編集]

  • プライムタイム
    • 19:00 - 23:00の時間帯に放送されるテレビアニメ。ゴールデンタイム枠などが入っている最も視聴率が取れる時間帯となっており、子供やファミリー向けのアニメを中心に放映。1クールの放送で終了することは少なく、2クール以上の放送になることが多い。また、年単位での長期放送も多くなる時間帯のアニメである。
  • ノンプライム
    • 6:00 - 19:00もしくは23:00 - 24:00までの時間帯に放送されるテレビアニメ。23:00 - 24:00放映のアニメは少なく、朝アニメ、夕方アニメと呼ばれる6:00 - 19:00放送のアニメが中心となる。プライムタイムのアニメと同じく長期にわたって放送されるものが多い。子供やファミリー向けのものが多いが、深夜アニメとネタにされるアニメが放送されることもある。
  • 深夜アニメ
    • 23:00 - 5:00の時間帯に放送されるテレビアニメ。製作委員会方式の採用などで、1990年代後半から増加していく。2000年代以降、最も本数が製作されている時間帯である。

放送局[編集]

TBS[編集]

製作委員会に連ねながらもTBSでは放送されていないテレビアニメもある。TBS系列のMBSテレビが製作委員会に参加することも多い。深夜アニメに『アニメイズム』というテレビアニメの放送枠がある。

フジテレビ[編集]

深夜アニメの放送枠に『ノイタミナ』がある。

脚注[編集]

  1. ただし24時間放送になったのは平成12年(2000年)である。

関連項目[編集]