福音書

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福音書とは、イエス・キリストことナザレのイエスの言行録である。いわゆる「エバンゲリオン」である。
マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝・ヨハネ伝がある(いずれも古・ギリシャ語で記述されている)が、「ルカ伝」の後半にはイエス先生が出てこないので、「使徒言行録」と別枠にされている。

概要[編集]

「マタイ⇒マルコ⇒ルカ⇒ヨハネ」の順に記されることが多い。いわゆる「聖書」(共同訳聖書)はやたらに分厚いが、福音書だけなら百六十ページ前後なので、そこだけ売ってほしいと思う。
「マタイ⇒マルコ⇒ルカ⇒ヨハネ」の順に成立したというのが一般的な見解だが、バーネット・ストリーターが「Q 文書仮説」という「マルコ伝以前に、『Q文書』というアラム語の文書があり、『マルコ伝に Q 文書が加わったものがマタイ伝である』ので、マルコのほうが古い」という説を唱えた。
とはいえ、「正文批判(テキストクリティーク)」という学問があり、「マタイのよさそうなところを引っぱってきたダイジェスト版に増補修正したのがマルコである」というのが現在では一般的である。
マタイとマルコを統合したものがルカであり、それに「間違いがあるから註釈」というのがヨハネであるらしいという意見もある(「絶対に認めない」という派もあるらしいが)。
四つの福音書を比較してエピソードを時系列上に並べて、同一のエピソードに対する記述を比較・検討すると、似たような結論に至る。これは共同訳聖書(現在のところ、最も信頼されており、カトリックとプロテスタントの双方が認めている)から確認できる。
マグダラのマリアが帰っちゃった後に、ベタニアのマリアが墓所の中で泣いているところにイエス先生が現れて、マリアが「先生!(ラップーニ!)」と叫んでしがみついて離さない場面で、「えぇい、離せぇ! まだ死んどらんわぁ!」と言って(「我に触れるな。まだ天に上げられてはいないのだから」。「ノリ・メ・タンゲレ」)蹴ったおす場面は福音書の白眉の場面である。ただし、 エホバの証人が使っている「新世界聖書」ではこの部分は削られているらしい。『金色夜叉』の熱海の海岸で寛一がお宮を蹴っ倒す場面を「女性に暴力を加えるのはポリティカル・コレクトネスに反する」とかいって、まるまる削っちゃったようなものである。

各書の特徴[編集]

それぞれ記述に違いはあるが、それが原典ごとの違いなのか、それとも現今の版における視点なのかについては議論がある。

マタイによる福音書[編集]

マタイは英語読みでは「マシュー」。

マルコによる福音書[編集]

マタイより短い。増補修正版のほうが長いのが普通であると考えられがちなので、マタイより先に成立したという説も唱えられているが、正直イエス先生の系図なんぞに一般信者は興味がないので、基底としてはダイジェスト版の位置づけだったようである。
佛教においては、「般若経」は全八百巻余とされており、法会に際しても「とりあえずめくっただけで読んだことにする」ことになっているが、その中でいちばん知られているのが般若心経であるという事実がある。

ルカによる福音書[編集]

ルカは英語読みでは「ルーカス」。医者である。これも長いが、内容的にはマタイとマルコの統合版である。

ヨハネによる福音書[編集]

ヨハネは英語で「ジョン」。これも短い。とはいえ「歎異抄」ではないが、ルカとは記述内容が異なっており、文体も前三者とは異質であると田川健三は述べている。
それを考えると、ルカの修正版のようにも思えるが、版としての成立としては前三者よりもむしろ早いと考えられている。「ヨハネ」は一般的な名前ではあるが、「イエスに最も愛された弟子」として知られる使徒ヨハネによるものであるという説があり、うかつに手を出せなかったのかもしれない。

各版の比較[編集]

それぞれエピソードとしては異なっているが、もっとも比較しやすいのがイエスの受難と復活に関するエピソードである。そのとき十二使徒は全員が揃っているわけであるから。
ここで気になるのは、「復活後のイエスに最初に逢ったマリアは、どのマリアか?」である。福音書には少なくとも「聖母マリア」「マグダラのマリア」「家令クザの妻マリア」「ベタニアのマリア」がいるわけだが、母親であるマリアはおばちゃん体質であり、「先生(ラップーニ)!」とかいって抱きついて離さない(あげく、「ええぃ、離せぇ! まだ死んどらんわぁ!」とイエスに蹴っ倒されていたらしい)とかいったタマではない。マグダラのマリアは団体で墓までやってきて、屍体がなかったので早々に帰ってしまった。クザの妻マリアもその一団に入っていたかもしれない。そうなるとベタニアのマリアでありそうだ。ベタニア(川向うのベタニアではない)にイエスが滞在していたときも、イエスにべったりくっついていて姉のマルタに叱られていて、イエスがとりなしていた場面もある。このあたりは実際の各福音書を参照のこと。

登場人物[編集]

  • イエス -「ナザレのイエス、ユダヤの王」(INRI)と後に称えられる。ちなみにユダヤ人であり、ユダヤ教のラビである。
  • 十二使徒
  • ヘロデ・アンティパス - ローマから派遣された行政官。
  • 百人隊長
  • ベタニアのラザロ
  • ベタニアのマルタ
  • ベタニアのマリア
  • “聖母”マリア
  • マグダラのマリア
  • クザの妻マリア
  • 井戸の女

名場面[編集]

  • 第七の井戸(バエル・シェバ)
  • 香油を注ぐマリア
  • ラザロの復活
  • 復活してマリアと酢遇する場面。「ノリ・メ・タンゲレ」

名台詞もあり、

  • 「それはあなたが言ったことだ」

人工痴脳界隈ではよく使われる。佛教由来のネタもあり、「安心しろ」[1]「救ってやる」は、奈良の大佛様がこのポーズを取っている。

小ネタ[編集]

映画『天使にラブソングを』で、幼少期のヒロインが「聖人の名前を挙げなさい」と教師に言われて「ジョン(ヨハネ)、ポール(パウロ)、ジョージ(聖ゲオルギウス)、リンゴ ……」と答える場面が冒頭にある。
ちなみにリンゴ・スターの本名はリチャードだが、小学生時代の仇名は「ラザロ」。ベタニアのマリアの兄ちゃんで、墓穴から引っ張り出されて四日目に“復活”したと福音書にある。そのとき妹のマルタに「四日経っているので、もう臭います」とか言われていたりする。福音書には皮肉やらお笑いやらオヤジギャグも多いのだが、後世にいろいろと美化されたりして難解になっている。ついでながら後の初代ローマ法王ペテロは、アホキャラ担当である。日本で実写映像化するなら大泉洋が配役としてはベストだと思われ。

竹内文書[編集]

竹内文書(たけうちもんじょ)は大正期の偽書とされているが、青森県戸来村には「キリストの墓」「キリストの弟であるイスキリの墓」があったりする。
そこから、「イエスの弟であるイスカリオテのユダが身代わりとなって処刑されるはずだったのだが、当時の行政官だったヘロデ・アンティパスがロンギノスに命じて、ユダは生延びた」というストーリーもある[2]
「考えることは誰しも一緒」という話ではある。

参考文献[編集]

  • 田川建三『書物としての新約聖書』(勁草書房)

脚注[編集]

  1. 台詞としては福音書の中ではいちばん多いとされ、「恐れるな」と訳される。
  2. 救世義也『ふたりで聖書を』

関連項目[編集]