仏陀

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仏陀とは、大雑把にいうと二種類あり、「成仏すれば誰でも仏陀」という考えかたもあれば、大乗仏教の開祖をいうこともある。
日本では、後者の解釈が一般的であり、「釈迦牟尼仏」「釈尊」「お釈迦さん」あるいは「ブッダ」「ゴータマ・シッダールタ」として日本では知られている。

概要[編集]

本来は「悟った人」「覚醒した人」「目覚めた人」という意味であるらしい。とはいえ悟れば悟るほど次があるので、日本ではわびさびの文化として定着している。たとえばアリストテレス力学を悟っても次にニュートン力学があり、ニュートン力学を悟っても特殊相対性理論があり、そこを悟っても一般相対性理論があり、そうなると量子力学が出てきてまた悩む、といった感じになる。

釈迦牟尼[編集]

お釈迦さんは、そのあたりを整理して理論化し、説明しようとしたので、漢字の「釈」が充てられて「釈尊」と称えられた。「牟尼」は「修行者」の意味なので、「いくら悟っても、まだ先がある」というので「生涯一研究者」的な学究肌であったらしい。物理学におけるアインシュタインに相当する、「佛教学のアインシュタイン」に相当するのがお釈迦さんである。アインシュタインとの違いは、アインシュタインが一介の役人からキャリアをスタートしたのに対し、お釈迦さんが「族長の跡継ぎ」で財力も権力もある家に生まれた点である。
ただし「いいところのお坊ちゃん」(だいたい婆羅門階級だし)だったので教養もあり、なんかしらブルジョアでインテリゲンチャなところが気に入らないマルクス=レーニン主義者もいるらしい。まぁ、資産家で富裕層で高貴な生まれ育ちなので、メンシェビキではあるわけだが(笑)。
「四門出遊」として伝えられるが、「のさばっているだけでは、資産だの家柄だのに囚われているだけで、人生が面白くない」というので「外に出る」「市井に紛れる」のが性に合っていたらしい。TVドラマの水戸黄門や暴れん坊将軍や遠山の金さんではないが、乞食坊主のふりをしてウロウロしていても怪しむ人はいない。「越後の縮緬問屋の隠居」とか「貧乏旗本の三男坊」とか「遊び人」とかのほうがよっぽど怪しい。
現在のライオンズクラブやロータリークラブのノリで集まった富裕層の子女のサークルがあったらしく、そのリーダー格であったらしい。そこから、「人材を見出す」「次世代のリーダーを育成する」「社会に資す」「教育する」「福利厚生をする」というので組織化し、ライオンズクラブにおけるレオクラブやロータリークラブにおけるローターアクトクラブみたいな感じで教団になったらしい。それを考えると、廣池千九郎の道徳科学(モラロジー)研究所とかモラロジアンは原始大乗佛教に近い。お釈迦さんの頃は周りは全員ヒンドゥー教徒なので、布教の必要もなければ規制する必要もない。その点では天皇制は皇室典範による血統という縛りがあるので多少不自由である。現天皇陛下は、皇太子の頃に「(天皇に)なりたくてなる人は、いないでしょうね」と苦笑交じりに仰っていた。
お釈迦さんも「嗣ぐような商売じゃないからね?」というのでペーパー離婚的に絶縁したつもりだったが、息子が信者になって「障害(ラーフラ)」を名宣っちゃったりしたので「育て方間違えちゃったかな orz」という話があり、「息子が便所で寝ていた」という話はある。つーても欧米では「お客さんが来たら、子供は客用にベッドを空けてバスルーム(つーかバスタブ)で寝る」という話は普通にあって、夜中にトイレを使おうとしたらけっこう気まずかった、という話もある。「渡世人は、台所の板の間に敷布団だけ借りて柏餅状態でドス抱えて寝た」という話もあるので、べつに悲惨な話ではなかろうと思う。現代だったらソロキャンプ風に庭の隅っこにテント張って寝るとか、資料室の床にエアマットと寝袋で寝るとか、その程度の感覚ではないかと思う。

脚注[編集]


関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 手塚治虫『ブッダ』
  • 中村光『聖☆おにいさん』


外部サイト[編集]

その他[編集]