主の祈り
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さあ、神に祈りなさい
主の祈りとは、新約聖書の福音書中に載せられている、イエス・キリストが教えた祈り方。
マタイ6章[編集]
だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。 — イエス・キリスト、マタイによる福音書(口語訳)6章9節から13節
- 条件として、許すなら許される、という事が分かる。
- 祈る対象は、イエス・キリストではなく天の父、つまりヤハウェという事。
マルコ11章[編集]
祈りとは独特な儀式のようにも見え、他の宗教でも見られるが、イエスの認識は以下の通り。
なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。 — イエス・キリスト、マルコによる福音書(口語訳)11章24節
- 文脈を見ると「神を信じなさい」ともあるので、ホントにそうなるのかな?と試しに祈ってみる程度でも、神を信じながら祈ればそのとおりになる、と理論上は言える。技術的には可能である。
- まぁいきなり「神を信じなさい」と言われても難しいよ。紅海の海底でも見てみないと[1]。
ルカ11章[編集]
どうも「教えてください」と言われたので教えたようである[2]。
また、自分の子供には良い物を贈るだろう?ましてや天の父は…、という推論のさせ方を用いている。
使徒ヨハネ[編集]
イエスの使徒であった使徒ヨハネは、イエスに倣った祈りを実践していたと考えられる。そして後日、以下のように書いてある。
わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。 — 使徒ヨハネ、ヨハネの第一の手紙(口語訳)5章14節
- 「確信」と言っているので、かなり確かなものを感じていたと思われる。
- 「神の御旨に従って願い求めるなら」とも言っているので、全ての願いが叶えられる訳ではなく、条件がある事が分かる。
感想[編集]
余談[編集]
- 別に神に祈った訳ではないけど、何を疑問に思っているのかは神には筒抜けのようなので、祈ってないけど答えが与えられる、という事もあるようだ[5]。
脚注[編集]
- ↑ 出エジプト記
- ↑ ルカによる福音書(口語訳)11章1節
- ↑ 独自研究
- ↑ ※個人の感想です
- ↑ 『この後どんな事があろうかと、思いまわされたが、…』ダニエル書(口語訳)2章