新約聖書とイエスの歴史的受容
新約聖書とイエスの歴史的受容(しんやくせいしょと いえすのれきしてきじゅよう)、この記事では、歴史的観点からみた「信仰のイエス」を描く。これは「史的イエス」とも異なり、またクリスチャンによるイエス像とも異なる。例えば、マタイがどのようにイエスを描き出しているか、そういうことが問題となる。
新約聖書とイエス[編集]
新約聖書は、伝統的にイエスの言行を弟子たちが記録したものだといわれている。彼がもたらしたさまざまな「奇跡」が、彼がキリスト教において「救世主」「神の子」とみなされる大きな理由にもなっている。
さらに、キリスト教においてかれが「救世主」と見なされ通常の預言者と一線を画するもう一つの理由は、彼が神ヤハウェ(「主」)と人々との間にかわされた「契約」を「更改」したことによる。
ユダヤ教においては律法を守ることが絶対視されるが、キリスト教では律法を守れなかった者にも罪からの救いがあるとされる。これはイエスがみずからの身を十字架にかけることにより「贖罪(罪をあがなうこと)」を全人類のために果たしてくれたから、とキリスト教では教えているのである。そしてキリスト教では、「律法」の書であるユダヤ教の「聖書」を『旧約聖書』と呼び、イエスの「贖罪の業」を記した新しい契約の書を『新約聖書』と呼んでいる。
なお、結果的に彼の弟子達はユダヤ教から離れ独自の宗教を起こすことになるが、イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。
イエス伝承[編集]
四福音書からのイエスの伝記の再構成は、19世紀間に様々に議論された問題だが、今日では、文書の記述の齟齬・矛盾から、少なくとも詳細なそれは不可能であるとされている。たとえば、マリアの懐胎とイエスの降誕・幼少期は、マタイによる福音書とルカによる福音書のみに記述されているが、父ヨセフの出身地や受胎告知の地も、そして天使の顕現の様も双方で異なり、またエジプト逃避や続く嬰児虐殺も、マタイ伝には記述があるがルカ伝にはなく、後者ではベツレヘムを発ち、ただちにガリラヤに移住したとされている。このように、イエス伝の詳細な記述は誤解を生むだけなので、ここではその素描をするに留める。各エピソードの詳細は、それぞれ独立の項目で扱うことにする。
ヨセフの許婚であったマリアは、ヨセフを知る以前に聖霊により身ごもった(受胎告知、処女懐胎)。ヨセフはマリアを娶り、男の子が生まれ、その子をイエスと名づける(降誕、三博士の礼拝、 神殿奉献)。イエスはガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカ伝によれば、大変聡明な子であったという(イエスの幼少時代)。
その頃、洗礼者ヨハネがヨルダン川のほとりで改悛を説き、そのしるしとして洗礼(またはバプテスマ)を施していた。イエスはそこに赴き、ヨハネから洗礼(またはバプテスマ)を受ける(キリストの受洗)。そののち、霊によって荒れ野に送り出され、そこで四十日間断食し、また悪魔の誘惑を受けた(荒野の誘惑)。
荒野での試練を終えた後、イエスは、ガリラヤで宣教をはじめた。宣教活動のなかで、弟子を集め、ルカによれば、そのなかでも優れた12人の弟子を選び、特権を与えた。かれらは十二使徒と呼ばれる(山上の垂訓)。様々の地域で布教活動をした後、エルサレムに赴く。受難と復活を予言し、弟子たちに自らの栄光を示す(主イエスの変容)。
神の子を自称したとされ、最高法院の裁判にかけられた後、ローマ帝国側に引き渡されて、反逆者として磔刑に処せられた(最後の晩餐、キリストの磔刑)。その後、十字架からおろされて埋葬されたが(キリストの墓)3日後に弟子たちの前に現れた(キリストの復活)。40日間、地上にあったイエスは弟子たちの前で天に昇っていった(キリストの昇天)。
イエスの位置付け[編集]
「イエス」と「キリスト」は、キリスト教成立以前の時代には別個の概念であった。
日本語の「イエス」(「イエズス」「イイスス」とも)に相当する古典ギリシア語のイエースース(Ίησοῦς, Iēsūs)は当時のユダヤ社会では普通に見られた固有名である。イエースースはアラム語イェーシューア(ישוע, Yeshua)、ヘブライ語のイェホーシューア(יְהוֹשֻׁעַ, Yehoshua、日本語ではヨシュアと音訳)のギリシア語音訳である。『旧約聖書』にも「ヌンの子ヨシュア」および「シラの子イエス」などの名前が見え、また同時代資料にもナザレのイエス以外の何人かの「イエス」についての言及がある。
これに対し、「キリスト(Χριστός, Khristos)」はユダヤ教の王・祭司、転じて救済者を表すメシア(原義・香油を注がれた者)をギリシア語に意訳した語で、本来は称号である。(詳細はイエス・キリスト、キリストを参照)。
したがって、両者が結合した「イエス・キリスト」とは「救済者としてのイエス」を意味することとなる。これは厳密にはキリストの救済を信じる信者にのみ意味をなす言葉である。しかしながらキリスト教の成立と並行して「キリスト」は「イエス」の別称として用いられており、キリスト教徒だけでなく、非キリスト教徒であるタキトゥスやスエトニウスら古代ローマの歴史家たちは、「キリスト」に相当するラテン語名クリストゥス(Christus)をナザレのイエスと同義の固有名として用いている。
なお西方教会ではイエスの神性が強く意識されたためか、イエスおよびキリストが個人名に用いられることは少ない。これに対して東方教会、特に地中海世界に属するギリシャ、シリアなどでは「イエースース」(イーサー)や「クリストス」はごく普通に個人名として用いられる。
キリスト教ではイエスをキリストであると考えるが、イエスの神性を巡る位置づけに対しては、教派によって考えが異なる。多くのキリスト教会では、三位一体説を支持し、「父なる神」「子なるキリスト」、「聖霊」の三位格は本質において同一のものであると考えるが、三位一体説を退け、キリストに神性を認めない教会もある。
イエスは、キリスト教の他にいくつかの宗教においても、なんらかの役割を果たしている。
ユダヤ教の主流派では、イエスをメシア(=キリスト)とは認めておらず、また預言者でもないとする。メシアはまだ現れていないとし、その来臨を待望している。しかし少数派であるがメシアニック・ジュダイズムのユダヤ教徒はイエスをメシアと受け入れている。
キリスト教と同じく起源をユダヤ教に持つイスラム教では、イエスは偉大な預言者の一人になっており、処女降誕も神のおこなった奇跡のひとつとして認められている。しかし、神の子としては認められていない。唯一神教であるイスラム教においては、神は絶対にただ一つであり、キリスト教の三位一体の教義(前述)は唯一神教を逸脱しており、偶像崇拝と非難される。イエス・キリストに神性を認めず、イエスを預言者(ナビー、神の言葉を預かった人)とする。イスラム教における預言者とはあくまでも人間であり、崇拝の対象ではない。崇拝すべきなのは神だけであるとする(したがって、預言者ムハンマドを崇拝することも許されない)。
インドを起源とする宗教関係の一部では、イエスを光明を得た存在の一人として扱っている場合がある。紀元前数千年の以前から光明を得るための実験や実践がなされてきた。インドのヒンドゥー教につながる伝統では、誰でもが光明を得る可能性があるとしている。この場合、仏教のゴータマ・シッダッタ、ジャイナ教のマハヴィーラなども光明を得た存在の一人とされる。
ニューエイジの一部でも、同様にイエスを光明を得た存在として他の光明を得た存在と同じレベルで扱う場合もある。
ほんのわずかな可能性として、創造主たるイエスがなぜ、自分のこしらえた自然の流れに反した生まれ方をするのか?つまり、なぜ自分で自然の摂理と法則を定めていながら、両親から提供された肉体に魂を宿さないのか?全ての人間が、両親から提供された染色体を元に、細胞分裂を繰り返しながら大人になっていくのに、なぜイエスだけが受胎告知で産まれてくるというのか? 理性的に考えれば、そのような疑問が生じ始めます。
その問いかけに対して、教会が、ナザレのイエスやその母マリアと兄弟を特別視する背景には、何か既得の権力を守りたいという教会側の思いがあるからでははいか、という説がごく一部にささやかれている。