サタン
サタン Satan | |||||||||||||||||||||||||||||
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サタンとは、ヘブライ語聖書「サータン」(ヘブライ語: שָּׂטָן,sâtan) に由来し、本来の意味は「敵対者」「神の意思に逆らう者」である、固有の名前ではなかった[1]。ラテン語では Satan または Satanās である。サタンが悪魔と理解されるようになるのはかなり年代が下ってからである。
いわゆる「悪の権化」である「デビル」とは異なる。「デーモン」「デモン」「ダイモン」ともまた違う。
「こういう意見があってもいいんじゃないの?」というツッコミ担当の人物は「悪魔の代弁者」と呼ばれるが、この場合は「サタンの代弁者」である。有名どころではアルフレッド・ウェゲナーの大陸移動説を半世紀にわたって批判しつづけて「プレート・テキトニクスの進歩を一人で五十年間遅らせた」と謂われるサー・ジェフリースや、ビッグ・バン仮説を批判しつづけたフレッド・ホイルがいるが、どちらも科学の進歩に貢献したとして尊敬される人物である。
概要[編集]
ユダヤ人の考え方では、ヤハウェは人間に試練を与える存在として考えられていた。そのためヤハウェは身代わりとして、サタンが人間に試練を与えることがあった。次の段階ではサタンは「神の敵」という文脈で語られるようになった[2]。 サタンへの認識はユダヤ教とキリスト教とでは、大きく異なる。 ユダヤ教ではサタンに悪魔という意味はない。
ユダヤ教での認識[編集]
大澤耕史によれば、ヘブライ語聖書でのサタンは動詞と名詞があるとされる[3]。動詞としての使われ方には「ゼカリア書」3章1節がある。「主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼をサタンしようとしているサタンをわたしに示された」なお英語版、日本語版旧約聖書では「サタンしている」を「訴える」(英語版ではaccuse)と訳しており、ヘブライ語聖書とは意味が異なる。 定冠詞のない名詞としてのサタンの使われ方の例には「民数記」22章22節がある。「ところが、彼(バラム)が出発すると、神の怒りが燃え上がった。主の御使いは彼にとってのサタン( לשְׂטָ ןָ )となって、道に立ちふさがった」。英語版、日本語版旧約聖書では「サタン」を「主の使い」と訳しており、正確な翻訳となっていない。他の個所でもサタンは「主の使い」として試練を与える役割を果たしており、神が悪魔を派遣することはないとすれば、サタンを悪魔とする解釈はできない。 定冠詞のない名詞としてのサタンの使われ方の例にはヨブ記2章1節から7節がある。この場合は、英語版、日本語版旧約聖書では「サタン」と訳している。サタンは神の敵対者ではなく、神の意志を体現する存在となっている。神がサタンにヨブを試す許可を与え、長年ぶりかえす病気、天災に苦しめられた。したがってサタンが「悪魔」と解釈することはできない。創世記でイブを誘惑した蛇はサタンではない[1]。 結論として旧約聖書ではサタンは悪魔ではなく、神の使いであり、神が人間に試練を与えたり、正しい道からそれたときに登場することが多い。
上記の認識は「ゼカリア書3章1節」の"認識の誤り"を土台に延々と発展させた哲学になっており、「後々その結論が完全に否定される」という典型的な例になっているように感じる[個人の感想です]。
新約聖書での認識[編集]
- 黙示録では、サタンは龍と蛇との同義語となっている。
- パウロは罪を犯すことはサタンに隙を作ることであると述べている。
事例からの考察[編集]
- 事例として、マタイによる福音書4章1節から9節では、悪魔はイエスを試す「試みる者」として登場する。
- 第一の誘惑は、石をパンにできるかどうか試すこと
- 第二の誘惑は、サタンへの崇拝と世界の国々の権威と栄華を引き換えにすること
- 第三の誘惑は、宮の頂上から飛び降りられるか試すこと
- イエスはこれらを旧約聖書の神の言葉を使って切り抜けている。これを解釈すれば神の言葉に悪魔は対抗できないとも考えられる。
- ここで記載されている悪魔は英語版新約聖書では”devil”が6か所、satanが4か所である。使い分けをしていることも考えられる。
キリスト教系神学者の認識[編集]
- 新約聖書において、サタンは神の意志とは関係のない、単独の存在として描かれ、「魔王」とサタンは交換可能な言葉になっている[1]。
- 新約聖書になると、サタンあるいはデビルは神に反抗する存在で描かれるようになる。自然を超えた「悪魔」というサタンのイメージは、ペルシア宗教の影響があると言われる[4]。
- 紀元100年頃書かれた儀典『アダムとエバの生涯』では天使のサタンは大天使ミカエルからアダムにひれ伏し、敬うよう命じられたが、アダムの方が劣っているので、アダムの方が敬うべきであると拒絶した。サタンは後には、異教の神と結びついた。アウグスティヌスによれば、アダムの罪は全人類がサタンに隷属する原因となったという[1]。
- 18世紀には、サタンは時代遅れの迷信と考える神学者が現れた。フリードリヒ・シュライアマハーは魔王の概念は、啓蒙の不足から起きるといい、イエスと弟子は直接にはサタンに言及していない、サタンは存在せず、都合のよい悪の比喩となっていると主張した[1]。
考察[編集]
以下は考察という性格上、一部に独自研究が含まれている。一般的な見解とはいえないものもあるが、ご容赦願いたい。
- 『「民数記」の記述では、ロバはサタンを見ているが、人間に見えているかは分からない[5]。「神の使い」のヘブライ語の原文はサタンである。つまりサタンはヤハウェの命令のもとで活動しており、旧約の世界ではサタンは神や人間に敵対しているわけではなく、ヤハウェの命令で活動する存在である。ヤハウェによる試練として、サタンを通じて人間に課せられる。』と主張する人も居るが、「民数記」22章22節の英文も参考にすると分かると思う。つまり「敵対した」という意味で使用されている可能性が高い。サタンがヤハウェの命令のもとで活動している訳では無い。
and the angel of the LORD stood in the way for an adversary against him. — Bible_(King_James)/Numbers 22章22節(一部抜粋)
しかるに神は彼が行ったために怒りを発せられ、主の使は彼を妨げようとして、道に立ちふさがっていた。バラムは、ろばに乗り、そのしもべふたりも彼と共にいたが、 — 民数記(口語訳)22章22節
- サタンは人の心の中の悪い面を擬人化したものにすぎないと主張するものもいる。
ゼカリヤ3章について[編集]
口語訳聖書のゼカリヤ3章(これは正確な訳ではない)では、サタンはヨシュアを訴える者と描写されており、主がサタンを責めるという場面になっているため、キリスト教とユダヤ教が共通認識を持つ事が難しくなっている原因かもしれない[独自研究]。独自研究としても、聖書以外の出典が必要である。キリスト教とユダヤ教はそもそも共通認識は持っていないから当然である。
時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。主はサタンに言われた、「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」。 — ゼカリヤ書(口語訳)3章1節から2節[聖書 1]
新改訳聖書では以下のようになっている。
主は私に、主の使いの前に立っている大祭司ヨシュアと、彼を訴えようとしてその右手に立っているサタンとを見せられた。 — ゼカリヤ書(新改訳)3章1節[聖書 2]
ヨブ記などからの考察[編集]
ヨブ記の中ではサタンはヨブに気づかれずにヨブの所有物や子供や健康まで奪っている事から、ヨブにサタンは見えなかったと思われ、サタン自体は人間には見えない存在と分かる。その被害状況や手口からサタンの仕業ではないかと推測する事くらいしか人間にはできないと思われる[個人の感想です]。
古代イスラエル王国で優れた王様であったダビデでさえ、サタンによる被害を被った事がある[聖書 3]。つまり、サタンは人間の思考に直接干渉可能という、極めて強力な能力を持っており、その権限を持っている、その事は今はヤハウェに許されているという事が分かる[個人の感想です]。どうして?と思うかもしれないが、人間は最初ヤハウェを裏切っているのでそのためと考えられている[個人の感想です]。(禁断の果実)
だがサタンよりも強力な方は、サタンの思考に直接干渉可能な可能性があり、サタンもそれと知らずにヤハウェの手に掛かっていたという状況を作り出す事が可能かもしれない。全能者なら何でも出来るはずであり、人間が想定出来るような事象は全て、その気になれば全て実施可能と思われる[個人の感想です]。
現実の運営について[編集]
現実の開発元は全知全能のヤハウェのようだが、運営はなぜか全知全能ではないサタンらしい。
それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」 — ルカによる福音書4章5節から8節(口語訳)
つまりリアルをクソゲー化しているのはサタンによるものと考えられる。
古代イスラエル王国でヤハウェから特別扱いされていた王様であったダビデでさえもサタンの影響から完全に逃れる事はできなかった[聖書 3]事を考えると、やっている事は荒らしに近いが、やはりサタンはかなり強い。
脚注[編集]
- 出典
- 聖書
- ↑ “ゼカリヤ書(口語訳)3章1節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年12月1日確認。
- ↑ 新改訳聖書 昭和53年11月1日二版初刷 翻訳:新改訳聖書刊行会 発行:日本聖書刊行会 発売:いのちのことば社
- ↑ a b “歴代志上(口語訳)21章1から14節”. ウィキソース (2018年7月13日). 2018年11月17日確認。