ギロチン

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ギロチン

  1. フランスで発明された処刑用具。発明者はジョゼフ・ギヨタン。本項にて詳述。
  2. 転じて、工業用大型押し切り装置(シャーリング)。使用者による俗称とは限らず、装置製造者が公式に、カタログ、マニュアル、プレートに用いているものがある。
  3. 格闘技の試合等で使用されるフロントチョークの別名。ギロチンチョーク。
  4. アルベール・カミュの1957年の著作。
  5. ベルギービールの一銘柄。製造にジョゼフ・ギヨタンが関係したことから命名されている。ラベルにはギロチンの絵が描かれている。

構造[編集]

処刑の対象となる者を固定する首枷があり、吊り上げた重い刃を落としてを切断するようになっている。

しかも、正確に首の上に落ちるよう、刃は枠に嵌め込まれている。

首が切れ易いように刃を斜めする工夫がされている。

特徴[編集]

刀や斧で首を斬ると失敗する場合があり、受刑者に過度の苦痛を与えてしまうが、ギロチンを使うと失敗することがない。

備考[編集]

人間は首を切断されてもすぐに絶命はしない。切断された首に話し掛けると数十秒間は反応があるという。また、と切り離されてしまえば返答は不可能だが「瞬きしろ」と言うと胴体のない首が瞬きをするという。

逸話[編集]

考案された当初、三日月形であったギロチンの刃を有名な斜め刃に変えるよう勧めたのは、後にそのギロチンで首を落とされることになるルイ16世だった。

ギロチン処刑の手順[編集]

フランスでのギロチン廃止前1970年代のギロチン処刑の手順である。だいたい、20分以内に終わるとされる。

死刑執行の日の午前4時ぐらいに、処刑する者の独房に、立会い者が向かい、検察官が恩赦が却下されたことを告げる。

立ち会うのは、検察官、弁護士、教戒師、刑務官、死刑執行人、死刑執行人の助手である。

遺書を書く時間が少し与えられる。そして、手を後ろに縛り、足を拘束具で固定し、抵抗できないようにする。襟と髪をはさみで切る。その間、ラム酒を飲ませ、タバコ喫煙させる。

カーテンが開かれ、助手によって死刑囚はギロチンの前の台に押し倒され、首を固定させられる。死刑執行人のボタンで、ギロチンが落とされる。

斬首後に意識はあるか[編集]

ギロチンは痛みを感じさせる暇もないほどの高速で斬首を行い、即死させることを目的にした処刑道具である。しかし、心停止が行われても十数秒前後は意識が保たれているように、斬首後のごくわずかな時間、頭部だけの状態で意識が保たれているのではないかという説がある。斬首後の意識については幾つか報告が残されているものの、その多くは出典が怪しい。

例えば化学者のアントワーヌ・ラヴォアジエは、自身がフランス革命で処刑されることになった時、処刑後の人に意識があるのかを確かめるため、周囲の人間に「斬首後、可能な限りまばたきを続ける」と宣言し、実際にまばたきを行なったと言われている。しかしながら当時、流れ作業で行われたラヴォアジエの処刑に立ち会った目撃者の記述にそのような逸話は書かれておらず、1990年以降、ボーリュー博士の報告を元に創られた都市伝説と考えられる。

同様に斬首後のシャルロット・コルデーの首を死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンの助手が掲げその頰を平手打ちした時、彼女の顔は紅潮し目は怒りのまなざしを向けたという逸話がある。しかし、処刑時すでに夕方だったことから夕日が照り返したため、あるいは血が付いたためそのように見えたに過ぎないとも言われ、伝説の域を出ない。

具体的に斬首後の意識を確認した実験としては、1905年にボーリュー博士が論文として報告したものが挙げられる[1]。1905年6月28日午前5時半に、アンリ・ランギーユ死刑囚がロアレで処刑される際、事前に呼びかけに対してまばたきをするよう依頼したところ、斬首後数秒たって医師が呼びかけると、数秒目を開けて医師を直視し閉じた。二度目の呼びかけには応じたが、三度目以降は目が開かれなかったという。

しかし、こういった報告は筋肉のけいれんによるものとされており、斬首の瞬間に血圧が変化し意識を失うので、意図的にまばたきをするのは不可能というのが通説である。

フランスでは1956年に議会の依頼によってセギュレ博士が実験を行なっている。この実験では瞳孔反応と条件反射を確認したが、斬首後15分は反応があったとする報告を行なっている。意識の有無については確認手段が無いため不明のままであった。

脚注[編集]