織田信行

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織田 信行(おだ のぶゆき、1536年-1558年、生月日不詳)は、戦国時代武将。名は一般に信行で知られているが、文書で確認できるのは信勝(のぶかつ)、達成(たつなり)、信成(のぶなり)である[1]。なお信行の名以外では信勝で呼ばれる方が多い。通称は勘十郎[1][2]。受領名は武蔵[1][2]。官途は弾正忠(『定光寺年代記』)。尾張末森城主。

父は織田信秀[1]、母は土田御前織田信長の同母弟にあたる[1]。妻には春日刑部の娘と和田備前守の娘がいる。兄弟に信広信長信包信治信時信興秀孝秀成信照長益長利お犬の方佐治信方室、細川昭元室)、お市の方浅井長政継室、柴田勝家室)。子に津田信澄津田信糺信兼津田信直、女(神田之成室)などがいる。兄・信長と織田弾正忠家の家督をめぐって争い、敗れて謀殺された。

生涯[編集]

織田信秀の3男、あるいは4男で信長のすぐ下の弟と伝わる[1]。『信長公記』によると信長は少年期からうつけ者として奇矯な振る舞いが多かったので、信長を廃嫡して信行を嫡子にするように勧める家臣が多かったという。父・信秀の葬儀の際にも信長が茶筅髪に袴も着けずに仏前で抹香を投げかけるという所業に及んだのに対し、信行は礼儀正しく振る舞ったとされているため、信長とは対照的な性格の持ち主のように描かれている。

信秀は信長を廃嫡はしなかったが、信行を不遇にもせず末森城を与えて城主とし、柴田勝家らを老臣として付属させている(『信長公記』)。天文22年(1553年5月6月美濃白山社、尾張熱田社に仏像や菅原道真画像を寄進する[1]。この年から弘治3年(1557年)にかけて加藤順盛に対して権益や財産に関する判物を多数発給しているが、信長も加藤順盛の対抗勢力に多数発給しているため、信長と信行の代理戦争、あるいは信行が信長から半独立しているような兆しが見て取れる[3]

弘治元年(1555年6月に弟の秀孝が叔父・信次の家臣に殺害された際、信行は叔父に報復するためその居城である守山城に攻めかけ、城下町に放火した[3]。信長はこれに対して秀孝にも過失があるとして信次を咎めなかった[3]。この両者の対照的な対応、ひいてはあくまで家督を相続して当主になっているのは信長であるから、信行は信長の命令に服していないと言える[3]

弘治2年(1556年8月になると信長の筆頭家老であった林秀貞までが信長を見限って信行に属し、信行には柴田勝家・林秀貞・林通政ら信秀時代の有力家臣がつくことになり、8月24日に遂に信長と武力衝突(稲生の戦い)に至る(『信長公記』)。しかし信長の前に柴田勝家・林通政らの軍勢が相次いで敗れ、信行は万策尽きて母の土田御前や柴田勝家を連れて信長の居城である清州城に赴き、信長は信行を赦免した[3]

ところが永禄元年(1558年)、あるいは弘治3年(1557年3月に信長の所領である篠木三郷に竜泉城を勝手に築城してその横領を目論んだ[3]。しかし以前に赦免された事ですっかり信長に心服していた柴田勝家が信長に接近しており、信行に謀反の意思ありと告げたので信長も遂に決断し、永禄元年11月2日(1558年12月11日)に信長は重病と称して信行が清州城に見舞に訪れたところを謀殺した[3]。信行に手を下したのは河尻秀隆と伝わる。

この事件のあった年を弘治3年11月2日(1557年11月22日)とする説があり、1年の誤差がある。永禄元年説を採るのは『信長公記』だけであるが、実は弘治3年11月25日付で武蔵守信成の名乗りで発給された判物があるため、『信長公記』の記述が正しいことがほぼ明らかとなっている。

嫡子の信澄は信長から赦免されて後年に側近として重用されたが、やはり信行と同じように非業の最期を遂げる事になる。

関連作品[編集]

小説
漫画
テレビドラマ
アニメ
主役ルート・ステージの設けられたゲーム
コミカライズ
  • 『下天の華』(2013年~連載中、ARIA(講談社)、原作:ルビー・パーティー(コーエーテクモゲームス)、作画:くまだゆか
音楽CD
  • 『下天の華キャラクターソング集』(2012年、コーエーテクモゲームス)
ドラマCD
ゲーム
  • 『戦極姫3〜天下を切り裂く光と影〜』(2011年、声:上田朱音

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 『織田信長家臣人名辞典』(第2版)吉川弘文館2010年。P111
  2. a b 『戦国人名事典コンパクト版』 1990年、P219
  3. a b c d e f g 『織田信長家臣人名辞典』(第2版)吉川弘文館2010年。P112

参考文献[編集]

  • 谷口克広 『織田信長家臣人名辞典』 (第2版) 吉川弘文館2010年。ISBN 9784642014571
  • 『戦国人名事典コンパクト版』 阿部猛、西村圭子、新人物往来社、1990年9月 ISBN 4-404-01752-9