お犬の方
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お犬の方 おいぬのかた | |||||||||||||||||||||
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お犬の方(おいぬのかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。尾張の戦国大名・織田信秀の8女[1]。織田信長の妹。於犬とも書かれる[1]。
略歴[編集]
織田信秀の8女で、兄の信長の命令で常滑を中心に知多半島西部を支配する佐治氏の当主・佐治為興に嫁いだ。佐治氏は伊勢における水運力を支配しており、その水運力を取り込むために信長が妹のお犬を嫁がせて織田一門に取り込んだという。為興は織田一門に迎えられて諱を信方と改めることも許されているが、天正2年(1574年)9月に信長の長島一向一揆征伐に従軍した際に戦死した。お犬は信方との間に佐治一成と中川秀休の2男に恵まれていたが、実家に戻っている[1]。
天正4年(1576年)、信長の命令で細川昭元と再婚することになる。昭元は室町幕府管領・細川晴元の嫡子で、信長が室町幕府の旧名族と婚姻を結ぶことで家格を上昇させる狙いもあったと見られている[1]。昭元との間には元勝と2人の娘の1男2女に恵まれている。
天正10年(1582年)6月2日に兄の信長が本能寺の変で死去したわずか3か月後の9月8日、お犬も死去した[1]。お犬の生年は不明だが、昭元の生年が天文17年(1548年)、信方の生年が天文22年(1553年)なので、恐らく彼女もそのあたりの年齢で、享年は30歳前半か半ばだったと見られる。
細川家の菩提寺である龍安寺の山内にお犬の廟所として霊光院が建立され、乳母の浄智院によって菩提が弔われた[1]。
なお、お犬はかなりの美女だったと見られ、後家でありながら細川家という名家に嫁ぐことができたのもこれが理由の1つと見られている。また、龍安寺霊光院に彼女の美麗さを称える月航宗津讃の肖像画が残されている[1]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 西ヶ谷恭弘 『考証織田信長事典』 東京堂出版、2000年。 。