炎上した城の一覧
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炎上した城の一覧(えんじょうしたしろのいちらん)では、歴史上色々な理由があり燃えて消滅した城・またはSNSで炎上した城を紹介する。
概要[編集]
燃えて消滅する理由は多数あるが、大抵は
- 落雷
- 放火
- 戦による消滅
などが挙げられる。
ちなみにSNS類は…運営会社の問題発言とかでしょ!異論は認めない!
天守閣が消滅したもの[編集]
1582年[編集]
- 安土城 - 天正年間中期落成、1582年に原因不明のまま炎上、消滅。望楼型。織田信長が命じて金箔などをふんだんに使った豪華絢爛なもので、それは西洋の城郭を連想させるもの。だが、本能寺の変の後に何らかの理由で消滅した。理由は定かではないが、明智光秀や織田信雄による放火、落雷説が提唱されている。近代以降、発掘資料を元に復元の試みも何度かあるが実現には至らなかった。
1600年[編集]
- 伏見城 - 1597年落成、1600年9月8日の伏見城の戦いで炎上、消滅。望楼型。豊臣秀吉が1593年に築城したが地震により東海、その後再建された。1600年の8月中旬には鳥居元忠を置いて京都付近の警備を任せるが、下旬に島津義弘らの軍勢が到着し2週間粘った末元忠は自ら火を放ち自刃。天守の残骸は残り、養源院の再建に利用された。
- 佐和山城 - 1590年落成、1600年9月17日の佐和山城の戦いで炎上、消滅。層塔型。石田三成が城主となって5層天守を建造したが1600年に小早川秀秋らの猛攻により炎上したと見られる。しかし佐和山城天守が炎上したという明確な証拠はなく、潔く開城した後に天守を解体、彦根城天守閣などに転用した可能性もある。
1657年[編集]
- 江戸城 - 1635年落成、1567年の明暦の大火にて炎上、消滅。望楼型。徳川秀忠が2回改築した後に徳川家光が漆黒の木造天守を完成させていたものである。徳川家綱の側近らは天守の再建を討論したが、最終的には再建されなかった。
1728年[編集]
- 加納城 - 天守自体は1601年に岐阜城天守を移築、1728年に落雷で炎上、消滅。織田信長が落成した岐阜城天守を移築したものである。天守台は残っておらず、1976年同地に岐阜地方気象台の建物が落成した。
1784年[編集]
1945年[編集]
- 名古屋城 - 1612年落成、1945年に名古屋大空襲で炎上、消滅。層塔型。徳川家康が豊臣恩顧の武将を掻き集めて2年の歳月をかけて完成させた。太平洋戦争で日本の敗北が濃厚になってくると、名古屋にもいずれ空襲が来ることは承知されていた。名古屋市は天守が燃える事を想定して、金鯱を地上に下ろす為の足場を設置、地上に下ろした。しかしその為の足場に焼夷弾が当たり天守に燃え広がり、数少ない江戸時代以来の木造天守、共に金鯱はことごとく焼けた。1957年に鉄筋コンクリート製天守を復元したが、2019年から天守木造化計画を進めている。
- この他にも福山城(1621年)、和歌山城(1585年)、大垣城(1500年)などが空襲により焼け落ちた。
1949年[編集]
門・櫓などが消滅したもの[編集]
1945年[編集]
城全体が消滅したもの[編集]
1567年[編集]
1582年[編集]
SNS上で騒動になったもの[編集]
この節を書いた人は当局により粛清されました。
脚注[編集]
- ↑ 『歴史群像シリーズ 日本100名城と続日本100名城に行こう』 日本城郭協会、2020年12月、14頁。