伊予松山城
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伊予松山城(いよまつやまじょう)とは、愛媛県松山市丸之内1にある城である。江戸時代に築城が行われた城で、歴代の伊予松山藩主の居城となった。
概要[編集]
松山城は日本国内に現存する12天守閣の一つであり、21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。標高132メートルの勝山山上に立つ松山市のシンボルであり、天守閣の最上階からは松山平野や瀬戸内海などが見渡せ、石垣は扇のような勾配で美しく、当時の高い技術を伺わせている。
歴史[編集]
松山城は豊臣秀吉の下で賤ヶ岳の七本槍に数えられた勇将である加藤嘉明により築城が始められた。嘉明は秀吉没後の慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで徳川家康率いる東軍に味方し、その武功により戦後に松山藩20万石に加増移封された。嘉明は慶長7年(1602年)に伊予正木(現在の愛媛県松前町)から道後平野の中央にある勝山に城郭を移すため、普請奉行に家臣の足立重信を命じて地割を行ない、工事に着手した。嘉明は4半世紀をかけて松山城を完成させた。
しかし、寛永4年(1627年)に嘉明は会津に転封となり、その後、蒲生氏を挟んで、寛永12年(1635年)からは久松松平家が15万石で入封した。
嘉明の造った大天守は五層六階で、大阪城と似ている作りをしている破風があり、当時四国で最も高い建造物だった。しかし1700年代後半に落雷によって天守は焼失、嘉永5年(1852年)に現在の天守に造り変えられた。付属している廊下・小天守は国宝(現在の価値にして重要文化財)に認定される直前、昭和8年(1933年)に放火によって焼失している。
アクセス[編集]
- JR予讃線松山駅から伊予鉄道市内電車に乗車し、約12分ほどの大街道電停を下車し、徒歩5分(松山城には徒歩でもロープウェイでも登れる。ロープウェイの場合は約3分で登れる)。
- 松山観光港からリムジンバスで約30分、「大街道」下車で徒歩5分。
- 三津浜港(防予フェリー発着)から徒歩で三津駅に移動後伊予鉄道高浜線で大手町駅で市内電車に乗り換えて「大街道」下車。
- 松山空港からリムジンバスで約30分、「大街道」下車で徒歩5分。
- 松山市駅から「道後温泉行き」「環状線大街道方面行き」市内電車で約6分、「大街道」下車徒歩5分。