日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)

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日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)(にほんかくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめい だいよんインターナショナルにほんしぶ)は、革共同系の新左翼党派。通称は第四インター四トロ。主な指導者は西京司岡谷進太田竜酒井与七織田進今野求など。1991年2月に国際組織の第四インターナショナルから除名されたことにより日本革命的共産主義者同盟(JRCL)に改称した。

組織[編集]

1985年6月時点。田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』(立花書房、1985年)による[1]

  • 指導者:山本統敏(筆名・酒井与七
  • 青年組織:日本共産青年同盟(機関誌『青年戦線』)
  • 拠点:新時代社東京都港区芝)
  • 機関紙誌:機関紙『世界革命』、機関誌『第四インターナショナル』
  • 勢力:約1500名

歴史[編集]

革共同関西派[編集]

日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の前身は1957年1月に結成された日本トロツキスト連盟。同年12月に日本革命的共産主義者同盟と改称した。代表的なメンバーは太田竜黒田寛一西京司岡谷進。1958年7月にトロツキズムを掲げパブロ派を支持する太田派と、トロツキズムは批判的に摂取すべきとする黒田派が対立する。少数派の太田派は革共同を脱退して関東トロツキスト連盟を結成した(革共同第一次分裂)。太田派が脱退した革共同では、キャノン派路線の下に第四インターナショナルへの参加を目指す西、岡谷ら関西派と、「反帝・反スタ」を掲げ「革命的マルクス主義グループ」を名乗る黒田派が対立する。1959年に黒田が民青の情報を警視庁公安に売ろうとして未遂に終わっていたことが発覚する。同年8月の革共同第1回全国大会で中央書記局は事件の中心人物大川の除名、黒田の一定期間の活動停止処分を提案するつもりだったが、黒田派は大会2日目に退出して日本革命的共産主義者同盟全国委員会を結成した(革共同第二次分裂)。

1958年12月に日本共産党を除名された学生党員が共産主義者同盟(ブント)を結成した。結成当初は革共同のメンバーもブントに参加していた。革共同は一時的に塩川喜信委員長の下で全学連の主導権を握ったが、急進主義的なブントに全学連の主導権を奪われた。安保闘争後にブントは分裂し、一部は革共同全国委員会に合流した。第四インター系が70年代半ばまで少数派に留まったのは、西ら関西派指導部の「反急進主義」「労学提携」の立場が急進主義的学生運動が高揚する中で学生の支持を得られなかったためという見方も存在する。

第四インター日本支部の結成[編集]

太田の関東トロツキスト連盟は日本トロツキスト同志会、国際主義共産党(ICP)、第四インターナショナル日本委員会と名を変え、1960年3月に反太田の多数派と太田支持の少数派に分裂した。少数派(太田派)は1960年11月にICPの名称を復活させた。安保闘争後の1960年11月、革共同関西派と第四インターナショナル日本委員会の多数派が合体して、第四インターナショナル日本支部・日本革命的共産主義者同盟(JR)を結成した。しかし、社会党社青同への加入戦術をめぐって内部対立が起き、1961年9月に「革命的分派」が、1961年10月には「革命的理論建設派」が分裂した。1965年2月にJRとICPが合体して、日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)を結成した。太田竜委員長・酒井与七書記長が選出され、同年3月に第四インターナショナル統一書記局(本部パリ)から正式に日本支部として承認された。1966年に太田派が再度分裂し、「ボルシェビキ・レーニン派」(BL派)、「武装蜂起準備委員会」(AIPC)を結成した。BL派の分派闘争により多数派も酒井を中心とする「社会主義通信派」、三多摩社青同の活動家を中心とする「マルクス-レーニン主義研究会」(ML研)、一時期太田と接触した学生グループによる「関東社研」に分解したが、1968年に統一した。

1960年代前半から三多摩宮城大阪を中心に社会党・社青同への加入戦術が進展した。仙台の加入活動では全電通全逓動労宮城合同の青年労働者を獲得して成果を上げた。三多摩社青同は社青同及び第四インターの分裂の中で崩壊した。社青同の第四インター支持派は1967年11月に「社会主義青年同盟全国学生班協議会プロレタリア国際主義派」を結成して1968年の10・21国際反戦闘争、1969年1月の安田講堂攻防戦を闘い、1969年3月29日に第四インターの学生組織「国際主義共産学生同盟」に改組された。

1969年5月31日、大阪教員組合主催の“沖縄奪還大教組全員集会”に第四インター系の「国際主義高校生戦線」のメンバーを含む約210人の反戦高校生が主催者の制止を破って乱入し、一時演壇を占拠するという事件が発生する。高校生の活動を非難する西、岡谷、香山久ら旧関西派と、評価する酒井、小島昌光ら中央政治局が対立。酒井らが多数派を形成し、第四インターの指揮権を掌握した。

1970年代[編集]

1970年8月の第四インター日本支部第4回大会で加入戦術の放棄や「極東解放革命」論(日本沖縄朝鮮半島の帝国主義的支配を打倒する戦略)が決定された。1970年代半ば以降、大衆路線を明確にし、大手党派の中核派革マル派解放派の内ゲバに反対し、労働者の工作に力を入れて組織を拡大した。全逓への浸透や沖電気争議、三里塚闘争高浜入干拓反対闘争などに精力的に取り組んだ。学生組織「国際主義共産学生同盟」は1975年2月に青年組織との単一化で、青年組織「日本共産青年同盟」に改組された。

1978年3月26日、第四インターを中心とするプロレタリア青年同盟共労党の下部組織)、共産主義者同盟(戦旗派)(戦旗荒派)等の共闘ゲリラが地下排水溝から開港を間近に控えた成田空港の管制塔に侵入し、内部の機器を破壊し、3月30日の開港を5月20日に延期させた。この成田空港管制塔占拠闘争(成田空港管制塔占拠事件)で44人の逮捕者を出した。

1980年代以降[編集]

1980年に村岡到が離脱し、新たに「政治グループ稲妻」を結成した(1996年解散)。

1982年8月、三里塚労農合宿所で第四インターの女性活動家が同派の男性活動家に強姦されるという事件が発生する。関与していた男性活動家4名が除名処分となり、自己批判文が機関紙に掲載されたが、不信感を持った女性活動家は次々と組織を離脱していった。1983年3月8日、三里塚芝山連合空港反対同盟が第四インターや戦旗荒派などが支援する「熱田派」と中核派や革労協などが支援する「北原派」に分裂する。「一坪再共有運動」に反対する中核派は、1984年の1月と7月にこれを推進する第四インターの活動家を一方的に襲撃し、頭蓋骨陥没や左足切断の重傷者2名を含む計8名を負傷させた。

1985年11月、多数派の「レーニン主義派」と少数派の「プロレタリア派」に分裂する。以降、女性差別問題や路線の違いを巡って分裂の道を辿る。「レーニン主義派」からは1987年5月に「第四インター・女性解放グループ」、1988年2月に「プロレタリア民主主義派」が分派した。「プロレタリア派」からは1987年12月に「第四インターナショナル日本支部再建準備グループ」(略称:MELT)が分派した[2]

1991年2月、イタリアで開催された第四インターナショナル第13回世界大会で「女性差別問題等の組織内問題を抱えている日本支部の存在を認めない」との決議を受け、従来の名称から「日本革命的共産主義者同盟(JRCL)」に改称した。その後、「第四インター・女性解放グループ」と「プロレタリア民主主義派」は活動を停止し[2]、「プロレタリア派」は「第四インターナショナル日本支部全国協議会」を経て国際主義労働者全国協議会」(略称:NCIW、労働者の力)に改称している。JRCL、NCIW、MELTの3団体は支部ではなくオブザーバーとして第四インターナショナルに参加した。

日本支部としての活動再開[編集]

2009年9月からJRCLとNCIWは機関紙『かけはし』を共同で編集、発行している。そのため両組織は合わせて「かけはしグループ」と呼ばれることがある。

JRCLとNCIWは『かけはし』第2644号(2020年12月7日)に共同コミュニケ「第四インターナショナル日本支部としての活動再開にあたって」(2020年11月26日)を掲載し、第四インターナショナル日本支部としての活動を再開することを発表した。2018年の第四インターナショナル第17回世界大会の後、JRCLとNCIWは2020年春に予定されている国際委員会に対して、両組織で構成される「第四インターナショナル日本協議会」を日本支部として承認することを要請した。国際委員会はCOVID-19のため開催中止となったが、その後、第四インターナショナル・ビューローから「第四インターナショナル日本協議会」を日本支部として承認すると決定したとの連絡があったという[3]

第四インター系の新左翼党派[編集]

出典[編集]

  1. 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、255頁
  2. a b 大津忠雄「JRCLの目指すものとは」社会運動研究会編著『別冊治安フォーラム 過激化する社会運動~その脅威と実態』立花書房、2013年
  3. 第四インターナショナル日本支部としての活動再開にあたって かけはし、2020年11月26日

外部リンク[編集]

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