日本革命的共産主義者同盟(JRCL)
日本革命的共産主義者同盟(JRCL)(にほんかくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめい ジェイアールシーエル)は、革共同系の新左翼党派。正式名称は「日本革命的共産主義者同盟(Japan Revolutionary Communist League/JRCL)」[1]。通称は「JRCL」「かけはし」。日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)が1991年2月に国際組織の第四インターナショナルから除名されたことにより現在名に改称して誕生した。
組織[編集]
- 指導者:酒井与七(山本統敏)、国富建治(平井純一)、右島一朗(高島義一、2004年死去)など
- 青年組織:日本共産青年同盟
- 拠点:新時代社(東京都渋谷区初台1-50-4-103)、 関西新時代社(大阪市福島区福島7-16-10吉村ビル203号)
- 機関紙誌:機関紙『かけはし』(週刊)、青年同盟機関誌『青年戦線』(季刊)。
- 1996年に『世界革命』から『かけはし』に改題した。2009年9月から国際主義労働者全国協議会(通称:NCIW、労働者の力)と共同で編集、発行している。
概要[編集]
1978年3月に成田空港管制塔占拠事件を起こしたことで知られる日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)が前身。1982年8月、三里塚労農合宿所で同派の女性活動家が男性活動家に強姦されるという事件が発生した。関与していた男性活動家4名が除名処分となり、自己批判文が機関紙に掲載されたが、不信感を持った女性活動家は次々と組織を離脱していった[2]。以降、女性差別問題や路線の違いを巡って分裂の道を辿り、1985年11月、多数派の「レーニン主義派」と少数派の「プロレタリア派」に分裂した。「レーニン主義派」からは1987年5月に「第四インター・女性解放グループ」、1988年2月に「プロレタリア民主主義派」が分派した。「プロレタリア派」からは1987年12月に「第四インターナショナル日本支部再建準備グループ」(通称:MELT)が分派した[3]。
1991年2月、イタリアで開催された第四インターナショナル第13回世界大会で「女性差別問題等の組織内問題を抱えている日本支部の存在を認めない」との決議を受け、従来の名称から「日本革命的共産主義者同盟(JRCL)」に改称した。その後、「第四インター・女性解放グループ」と「プロレタリア民主主義派」は活動を停止し[3]、「プロレタリア派」は「第四インターナショナル日本支部全国協議会」を経て「国際主義労働者全国協議会」(通称:NCIW、労働者の力)に改称した。以上の経緯から同盟規約では「女性差別との闘いの義務」を規定している。JRCL、NCIW、MELTの3組織は第四インターナショナルにオブザーバーとして参加し、第四インターナショナルは女性差別問題の克服、組織の統一が果たされれば日本支部に再承認するとしている[3]。
2009年9月からJRCLとNCIWは機関紙『かけはし』を共同で編集、発行している。そのため両組織は合わせて「かけはしグループ」と呼ばれることがある。
JRCLとNCIWは『かけはし』第2644号(2020年12月7日)に共同コミュニケ「第四インターナショナル日本支部としての活動再開にあたって」(2020年11月26日)を掲載し、第四インターナショナル日本支部としての活動を再開することを発表した。2018年の第四インターナショナル第17回世界大会の後、JRCLとNCIWは2020年春に予定されている国際委員会に対して、両組織で構成される「第四インターナショナル日本協議会」を日本支部として承認することを要請した。国際委員会はCOVID-19のため開催中止となったが、その後、第四インターナショナル・ビューローから「第四インターナショナル日本協議会」を日本支部として承認すると決定したとの連絡があったという[4]。
出典[編集]
- ↑ 同盟規約 週刊かけはし
- ↑ 遠山裕樹 「新左翼と女性差別」―かねこさち論文を読む 「青年戦線」1999年10月25日・No.153
- ↑ a b c 大津忠雄「JRCLの目指すものとは」社会運動研究会編著『別冊治安フォーラム 過激化する社会運動~その脅威と実態』立花書房、2013年
- ↑ 第四インターナショナル日本支部としての活動再開にあたって かけはし、2020年11月26日