全日本学生自治会総連合

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

全日本学生自治会総連合(ぜんにほんがくせいじちかいそうれんごう)は、1948年に結成された全国の大学にある学生自治会の連合組織。略称は全学連(ぜんがくれん)。現在は5つに分裂している。

概要[編集]

1948年6月の大学管理法案・国立大学授業料値上げ反対のストライキが契機となって、9月に全国145大学の学生自治会(約30万人)の連合組織として結成された。初代委員長は武井昭夫東京大学)。東京に中央執行委員会書記局を置き、地方学連――都道府県学連――各加盟自治会という組織系統を有した[1]。1949年に国際学生連盟に加盟。結成当初から1955年の六全協までは日本共産党の強い影響下にあったが、1950年の共産党の分裂、51年の武装闘争路線の採択、55年の六全協での組織統一と武装闘争路線の放棄という混乱の中で大きな打撃を受け、1956年に再建[2]、1958年12月10日に党の方針転換などに反発した全学連主流派が共産党と決別し、共産主義者同盟(ブント)を結成、以降は新左翼が主流派となった。1958年12月13日の第13回大会でブントにも参加していた日本革命的共産主義者同盟(革共同)が主導権を握ったが、翌1959年6月の第14回大会でブントが主導権を奪い返した。ブント全学連は60年安保闘争で主導的役割を担い、世界に「ZENGAKUREN」の名を知らしめた(安保全学連)。安保闘争敗北後にブントは解体し、以後は従来の全学連の主導権を握ったマル学同=革マル派系の全学連、1962年8月に「安保反対、平和と民主主義を守る全国学生連絡会議」(平民学連)として再建された民青系全学連、1966年12月に中核派社学同社青同解放派の三派が結成したいわゆる三派全学連の大きく3つに分裂した。1968年7月に三派全学連は中核派系全学連と反帝全学連(解放派系全学連の前身)に分裂した。70年代以降の全学連は学生運動の中心的存在とは言えなくなっている。

5つの全学連[編集]

1999年に革労協現代社派から革労協赤砦社派が分裂したことに伴い、解放派系全学連は2つに分裂した。以降は民青系及び新左翼党派の傘下にある5つの学生団体が全学連を名乗り、自らの正統性を主張している。一般に各全学連は上部団体の名称を付けて「○○全学連」「○○系全学連」と便宜的に区別される。各全学連は自らの組織について記載する場合、「全学連(○○委員長)」と委員長名を併記して区別している。

  1. 民青系全学連(共産党系全学連、日共系全学連、代々木系全学連とも)
  2. 革マル派系全学連
  3. 中核派系全学連
  4. 革労協現代社派系全学連
  5. 革労協赤砦社派系全学連

主な闘い[編集]

  • レッドパージ反対闘争(1949-1950年)
  • 朝鮮戦争反対闘争(1950年)
  • 全面講和運動(1950年)
  • 破防法反対闘争(1952年)
  • 砂川闘争(1955-1957年)
  • 小選挙区制反対闘争(1956年)
  • 教育三法反対闘争(1956年)
  • 国鉄運賃値上反対闘争(1957年)
  • 原水爆実験反対闘争(1957年)
  • 勤務評定反対闘争(1957-1959年)
  • 警職法反対闘争(1958年)
  • 安保闘争(1959-1960年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]