田代則春
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田代 則春(たしろ のりはる、1931年8月23日[1] - )は、日本の法曹。検事を辞めた後に弁護士となったいわゆる「ヤメ検」[2]。
略歴[編集]
- 1931年 長崎県島原市生まれ
- 1954年 中央大学法学部卒業、同年司法試験合格。
- 1959年 検事任官[3]。高松、奈良、大阪(特捜部)、横浜各地検検事を歴任
- 1973年 東京地検検事(研修総括指導官)
- 1975年 内閣総理大臣官房参事官兼青少年対策本部参事官、法務省・法制審議会幹事
- 1979年 仙台地検次席検事
- 1981年 東京高等検察庁検事
- 1983年 法務省・法務総合研究所研修第3部長
- 1986年 3月退官。4月弁護士登録(第2東京弁護士会)。
- 1987年 日本弁護士連合会大議員、第2東京弁護士会常議員、元ニューポート大学名誉教授、亜細亜大学・大学院講師(刑訴法・刑事学)、拓殖大学政経学部、専修大学法学部(各刑訴法・刑法)講師
- 1988年 日本初の法的データベース〈リーガルベース〉を開発・提供
- 1989年 ケンシントン大学客員教授
- 2001年 叙勲(勲三等旭日中綬章)
出典:特記無い限り「田代則春 経歴|田代則春法律事務所」による。
人物など[編集]
- 1960年、日本で初めて家庭裁判所の少年審判に検事として立ち会った。青少年問題に関する研究や調査、テレビ出演、著書がある[4]。作家・歌人の小嵐九八郎は、著書『人は何故、人を殺すのか』(2006年)について、「成績や学歴、競争社会を「勝ち組」「負け組」としか見ることができない親は、愛しい我が子に殺されたり毒を盛られる前に、この本を読むと良い。」と評している[5]。“尾木ママ”こと教育評論家の尾木直樹は、少年による殺人事件の背景に親の愛情不足があると主張するなかで同書を援用している[6]。
- 検事時代、過激派事件の裁判に立会検事として関与した[3]。1985年に共産党・過激派に関する警察官向けテキストを刊行した。日本革命的共産主義者同盟(JRCL)は自派を特集した『治安フォーラム』の論文を批判する中で、「…あいもかわらず「日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践」(田代則春/立花書房)などをはじめ使い古された公安政治警察教科書の丸写しだ。われわれは、そんなインチキ本は廃棄せよと忠告したのだが、…」と言及している[7]。
- 退官後、情報提供会社「日本法律情報センター」を設立して監査役に就任した。日本で初めて判例や関係論文のデータベースの開発に取り組み[8]、1988年に「リーガルベース」として完成させた[9]。
- 1991年の雲仙岳の火砕流被害の際には在京者による「島原半島災害復旧復興対策本部」本部長[10]、2011年の東日本大震災の際には「在京者による東日本大震災救援対策本部」本部長[11]として支援活動を行った。
- 2011年、南島原市福祉事務所玄関前に胸像が建立された[4]。
- 弁護士の仕事の中で嬉しかったことは何かという質問には「いくつかの大きな汚職事件の裁判で勝ったことです」と答えている[2]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』 立花書房、1985年
- 『人間関係と生きがい――組織=職場での』 信山社出版、大学図書(発売)、1988年
- 『刑事訴訟法講義』 信山社出版、1989年、普及版1992年
- 『人は何故、人を殺すのか――若者らの罪悪感、反省心のない「器物破壊化」殺人の実態と背景を探る』 文芸社、2006年
分担執筆[編集]
- 総理府青少年対策本部編『若者人格論――青少年の人格形成に影響を及ぼす諸要因に関する研究調査』ぎょうせい、1978年
- 安田道夫『父と母への赤信号――家庭を非行防止のとりでに』学事出版、1978年(改訂)
- 朝倉京一ほか編『刑事法学の現代的展開――八木国之先生古稀祝賀論文集 上巻 刑法編・刑事訴訟法編』法学書院、1992年
脚注[編集]
- ↑ 人は何故、人を殺すのか 文芸社
- ↑ a b 弁護士列伝 - 学生が直撃インタビュー! | 弁護士ドットコム:<田代則春法律事務所 田代則春先生>
- ↑ a b 『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』著者紹介
- ↑ a b 田代則春 経歴 田代則春法律事務所
- ↑ 小嵐九八郎の書評コーナー 文芸社
- ↑ 尾木直樹『尾木ママ、どうして勉強しなきゃいけないの?』主婦と生活社、2013年
- ↑ 『治安フォーラム』がJRCL特集/辺野古実・首相官邸前行動 かけはし2010年3月29日号
- ↑ 「田代則春さん 検事退き判例をデータベース化(人きのうきょう)」『朝日新聞』1987年1月17日付夕刊2面(2総)
- ↑ 「田代則春さん 判例CD化、4万余件を1枚に(人きのうきょう)」『朝日新聞』1989年5月6日付夕刊3面(らうんじ)
- ↑ 「法災 生活を奪う「警戒区域」(島原大変この一年:2) 【西部】」『朝日新聞』1992年5月28日付朝刊26面(2社)
- ↑ 第63回関東島原半島会 関東島原半島(島原市、雲仙市、南島原市)在京者による東日本大震災対策本部長挨拶 関東島原半島会