第四インターナショナル

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第四インターナショナル(だいよんインターナショナル、英語:Fourth International、FI)は、トロツキストの国際組織。

概要[編集]

第三インターナショナルに対抗して、1938年レフ・トロツキーらが結成した国際共産主義運動の組織。トロツキー、第四インターはソビエト連邦を「堕落した労働者国家」と規定し、官僚政府の打倒を主張しつつ、帝国主義からの攻撃に対しては労働者国家の無条件防衛を主張した。第四インターはこの「堕落した労働者国家」論や、他の政党や運動団体に加入して同調者を獲得する「加入戦術」をめぐり、1940年代以降は様々な潮流に分裂した。

歴史[編集]

1864年、世界初の国際的労働者組織として国際労働者協会(第一インターナショナル)が結成された。やがてマルクス主義マルクス派と無政府主義バクーニン派の対立が激化し、1876年に解散した。

1889年、各国の社会主義政党や労働組合によって第二インターナショナルが結成された。1914年に第一次世界大戦が勃発すると加盟団体のほとんどがインターナショナリズムを放棄して自国の戦争を支持したため、事実上解体した。現存する社会民主主義の国際組織・社会主義インターナショナルは、このとき戦争に賛成した社会民主主義者たちによって結成されたものである。

1917年にロシア革命が成功し、世界初の社会主義国家ソビエト連邦が誕生する。1919年にレーニンの呼びかけで、ロシア共産党(後のソ連共産党)を中心に共産主義インターナショナル(第三インターナショナル、通称コミンテルン)が結成された。世界革命を目的とする国際組織であったが、1924年のレーニン死去後、一国社会主義論を主張するスターリンがソ連共産党の主導権を握り、ソ連の外交政策を支援する組織に変質していった。コミンテルンの社会民主主義とファシズムを同一視し、社民を主要な敵と規定する「社会ファシズム論」は、結果としてナチスの政権掌握に力を貸すことになった。

レーニンと共にロシア革命を指導したレフ・トロツキーは、永続革命論を主張してスターリンと対立し、1927年に党から除名、1929年に国外追放となった。トロツキーはスターリン主義、社会ファシズム論に反対し、コミンテルンに替わって世界革命を指導する新しい国際組織の結成を目指した。そして1938年9月10日トロツキーを中心に第四インターナショナルが結成された。パリで開かれた創立総会にはアメリカイギリスドイツフランスイタリアなど10ヶ国とラテン・アメリカの代表ら約30名が参加し、トロツキーが起草した「資本主義の死の苦闘と第四インターナショナルの任務」(過渡的綱領)を採択した。

1939年の独ソ不可侵条約締結を機にソ連の評価をめぐり対立が起き、1940年4月、トロツキー、ジェームズ・P・キャノンら多数派と、マックス・シャハトマンら少数派に分裂する。少数派は社会主義労働者党を離党してアメリカ労働者党を結成した。同年8月、トロツキーが亡命先のメキシコで暗殺される。1953年、加入戦術、ソ連の評価をめぐり、国際書記局(パブロ派)と国際委員会(キャノン派)に分裂する。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]