小林敏男 (歴史学者)

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小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本古代史学者、歴史学者。大東文化大学名誉教授。専門は日本古代史。博士(歴史学)。大東文化大学兼任研究員[1]

経歴[編集]

1944年、長野県長野市で生まれる。1970年神戸大学文学部国史学科卒業。1978年東京教育大学大学院文学研究科(日本史学)博士課程単位取得退学。1995年11月8日、「古代王権と県・県主制の研究」で國學院大學より博士号を得る。鹿児島県立短期大学教授を経て、大東文化大学文学部教授。2015年に定年退官。6月11日、名誉教授[2]

著書『日本古代国家形成史考』では、日本古代国家形成期(時代としては5世紀前後が中心)の国家論、王朝交替説とその方法論、日本書紀の紀年論、記・紀の方法論を論じる。著書『日本国号の歴史』では、「日本国号」の成立に関して、いつ、誰が、どう定めたのか、それまでの「ヤマト」「倭」から名称を変更した理由や意味・由来を中国朝鮮との関係を辿りつつ考察している。著書『日本古代国家の形成』では邪馬台国論争において考古学と『魏志倭人伝』の記載との矛盾を邪馬台国(近畿)と女王国(九州)を別個の存在としてみる視点を提起している。

連続講義[編集]

大東文化大学地域連携センター主催により、日本古代史講座として古代史通史を連続講義している。

  • 古代通史2−邪馬台国成立前後−(2015年10月9日から11月6日[3]
    • 第1回 倭人・倭国の様相−東アジア世界の中で−
    • 第2回 邪馬台国成立史
    • 第3回 邪馬台国と女王国−私の邪馬台国論−
    • 第4回 邪馬台国の政治構造と卑弥呼
    • 第5回 邪馬台国のゆくえ
  • 古代通史3−謎の四世紀への接近−(2016年5月13日から6月10日)[4]
    • 第1回 邪馬台国と女王国はどうなったか。
    • 第2回 神功皇后伝説と朝鮮半島と神功皇紀
    • 第3回 七支刀銘文と百済との関係
    • 第4回 好太王碑文と倭国の朝鮮半島進出
    • 第5回 ヤマト政権と応神天皇の時代
  • 古代通史5-雄略以後の王権の混乱と朝鮮問題-(2017年5月12日から6月16日)[6]
    • 第1回 稲荷山鉄剣銘文について
    • 第2回 飯豊郎女は、女帝(天皇)であったか
    • 第3回 継体天皇登場の事情 (継体は新王統の天皇か)
    • 第4回 任那日本府と朝鮮半島問題 (その1)
    • 第5回 任那日本府と朝鮮半島問題 (その2)
    • 第6回 欽明朝と安閑宣化朝の対立
  • 古代通史6 -欽明朝から推古朝へ(2017年10月13日から11月24日)[7]
    • 第1回 5世紀後半以降の日朝関係史
    • 第2回 任那日本府の実像
    • 第3回 欽明朝の成立と安閑・宣化朝
    • 第4回 仏教の伝来と神仏関係
    • 第5回 推古女帝登場の歴史的背景 (1)
    • 第6回 推古女帝登場の歴史的背景 (2) 
  • 古代通史7−推古朝から大化改新へ−(2018年5月11日から6月15日)[8]
    • 第1回 聖徳太子の虚像と実像
    • 第2回 聖徳太子の事業について
    • 第3回 遣隋使
    • 第4回 飛鳥時代の仏教文化
    • 第5回 蘇我氏の台頭から滅亡まで(1)
    • 第6回 蘇我氏の台頭から滅亡まで(2)
  • 古代通史8−大化改新から白村江の戦いへ(2018年10月12日から11月30日)[9]
    • 第1回 蘇我大臣家の滅亡と乙巳(645年)の変
    • 第2回 大化改新政府と改新のプラン
    • 第3回 元号(年号)の始まりと元号問題
    • 第4回 白村江の戦い前後(1)
    • 第5回 白村江の戦い前後(2)
    • 第6回 まとめ
  • 古代通史9-律令国家形成史-(2019年5月10日(金)から2019年6月14日(金))[10]
    • 第1回 遣唐使とその人々(1)
    • 第2回 遣唐使とその人々(2)
    • 第3回 日本の国号-ヤマト・倭国・日本-(1)
    • 第4回 日本の国号-ヤマト・倭国・日本-(2)
    • 第5回 壬申の乱
    • 第6回 まとめ

講演[編集]

  • 1993年7月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「女帝について」と題して講演[11]
  • 1994年4月 よみうり・日本テレビ文化センター浦和「古代史講座」を開講(月、2回)
  • 1994年9月 東京都中野区の「あけぼの会」「善光寺の謎」と題して講演
  • 1995年1月 朝日カルチャーセンター(横浜)「騎馬民族説と日本古代国家の形成」と題して講演
  • 1995年1月  朝日カルチャーセンター(湘南藤沢)「王朝交替説」と題して講演
  • 1995年9月  東京都中野区の「あけぼの会」「善光寺の成立」と題して講演
  • 1995年11月 東京都府中生涯学習センター「河内王朝論」と題して講演
  • 1995年12月 東京都府中生涯学習センター「継体新王朝論」と題して講演
  • 1996年3月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「南西諸島の平家伝説」と題して講演
  • 1996年6月  埼玉県の県信連「騎馬民族説と古代の日本」と題して講演
  • 1996年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「伊勢神宮の謎」と題して講演
  • 1997年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「日本のなりたちと日本文化論」と題して講演
  • 1998年10月 東京都中野区の「あけぼの会」「継体新王朝説」と題して講演
  • 1999年1月  東京都中野区の「古代を学ぶ会」「ヲケ・オケ二王と忍海部女王」と題して講演
  • 1999年7月  朝日カルチャーセンター(横浜)「王朝交替はなかった」と題して講演
  • 2000年6月14日、東京都中野区「あけぼの会」「フダラク渡海海」と題して講演
  • 2001年6月21日、東京都中野区あけぼの会「神武天皇即位年について-辛酉革命説を中心に-」と題して講演
  • 2002年12月14日、国際シンポジウム「東アジアから見た日本古代国家の起源」(東アジアの古代文化を考える会主催)「日本の古代国家形成過程-五・六世紀を中心に-」と題して基調報告。討議。
  • 2002年12月19日、板橋グリーンカレッジOB会「日本人の成り立ちと邪馬台国」[12]
  • 2003年6月19日、東京都中野区あけぼの会「邪馬台国と女王国」と題して講演
  • 2004年6月8日、東京都中野区あけぼの会「古代女帝の特質について」と題して講演
  • 2005年6月15日、東京都中野区あけぼの会「飯豊郎女-女帝の起源-」と題して講演
  • 2006年6月22日、東京都中野区あけぼの会「武蔵国造の乱・再論」と題して講演
  • 2007年6月22日、東京都中野区あけぼの会「日本という国号について」と題して講演
  • 2008年3月8日、シポジウム「水林彪著『天皇制史論』をめぐって」奈良女子大学COE研究会「水林彪著『天皇制史論』の論点と問題点」と題して報告、討論。
  • 2008年4月19日、「日本という国号について」と題して講演した(東アジアの古代文化を考える会)。
  • 2012年2月25日、明治大学古代学研究所・東アジア石刻文物研究所「白村江以後の「日本」国号問題――「祢軍墓誌」の発見に寄せて」と題して講演(新発見百済人「祢氏 (でいし ) 墓誌」と7世紀東アジアと「日本」:シンポジウム)明治大学駿河台キャンパス・リバティタワー1階 1011 教室[13]
  • 2012年11月11日、「『日本』国号の成立と『古事記』編纂」と題して講演した(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館)[14]
  • 2017年9月24日(日)、「文献史学より見た邪馬台国(女王国)論」と題して、全国邪馬台国連絡協議会で講演した[15]
  • 2018年11月15日、「元号~その歴史と今~」講演[16][17]
  • 2018年6月15日、歴史文化学会「歴史文化学科の創設と大東文化大学」と題する講演[18]
  • 2019年7月11日、よみうりカルチャー浦和・日本古代史講座(『続日本紀』をテキストとして各記事を逐一読んでいく、その解釈と問題点さらに論争点を講義する)[19]

著書[編集]

単著[編集]

共著[編集]

  • 上田正昭・ 熊谷公男・ 小林敏男・ 徐建新・ 奥野正男 (2004)『シンポジウム 倭人のクニから日本へ―東アジアからみる日本古代国家の起源』學生社

論文[編集]

  • 小林敏男(2019)「袮軍墓誌銘の「日本」と白村江戦前後(再考)」大東文化大学紀要. 人文科学 (57), pp.288-269
  • 小林敏男(2018)「白髪首刎らるるとも恨みなし : 神澤杜口が橘南谿に語ったこと」青淵 (827),pp. 34-37
  • 小林敏男(2017)「ハンセン病と渋沢栄一 : いわれなき批判への反論」青淵 (819), pp.26-29
  • 小林敏男(2017)「東アジアと日本 : その歴史と文化」大東文化大学紀要 人文科学 (55), pp.308-289
  • 小林敏男(2016)「祢軍墓誌銘の「日本」と白村江戦前後」大東文化大学紀要 人文科学 (54), pp.272-255
  • 小林敏男(2015)「天皇の統治権を考える : 「ウシハク」と「シラス」を通して (小林敏男教授退任記念号)」日本文学研究 (54),pp.1-21
  • 小林敏男(2008)「科野(信濃)国造に関する考察」(井原今朝男、牛山佳幸編『論集東国信濃の古代中世史』)岩田書院
  • 小林敏男(2007)「古代における神と仏」(佐々木宏幹編『民俗学の地平-桜井徳太郎の世界』)岩田書店
  • 小林敏男(2005)「古代初期日朝関係史--とくに好太王碑文辛卯年条を中心として(下)」大東文化大学紀要 人文科学 (43), pp.71-84
  • 小林敏男(2004)「継体王統出現の歴史的背景 (特集 古代社会の諸問題)」東アジアの古代文化 (121), pp.66-78[23]
  • 小林敏男(2004)「古代初期日朝関係史--とくに好太王碑文辛卯年条を中心として(上)」大東文化大学紀要 人文科学 (42), pp.67-87
  • 小林敏男(2004)「日本の古代国家形成過程--五・六世紀を中心に--」(鈴木靖民編『シンポジウム倭人のクニから日本へ』)学生社
  • 小林敏男(2003)「邪馬台国と女王国」人文科学 8, pp.170-141
  • 小林敏男(1993)「応神朝の成立と倭国の王権」『新視点日本の歴史』 古代編Ⅰ 古墳~飛鳥時代 新人物往来社
  • 小林敏男(1993)「大后」『日本古代史事典』 大和書房
  • 小林敏男(1993)「欠史八代」『日本古代史事典』 大和書房 古墳時代
  • 小林敏男(1993)「古代国家における雄略朝の位置」歴史評論 論争・古代国家成立期の諸段階 校倉書房 93
  • 小林敏男(1993)「大后制と女帝.-女帝登場の背景」歴史読本 古代女帝 皇位継承の謎 601 新人物往来社
  • 小林敏男(1992)「天皇霊と即位儀礼」日本歴史 吉川弘文館 研究余録 C6|Cd0 八十嶋祭 古代天皇制の基礎的研究 大幅増補,同名の新稿扱い
  • 小林敏男(1984) 「五世紀史と王朝交替説」古代文化史論攷 奈良・平安文化史研究会 研究ノート 古代女帝の時代 五世紀史と王朝交替(再編)
  • 小林敏男(1989)「辺境の村落(南九州の村落)」『日本村落史講座』 景観2160;原始・古代・中世、雄山閣出版
  • 小林敏男(1983)「古代王朝交替説批判|同続」鹿児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学[24]
  • 小林敏男(1987)「『書紀』皇太子記事の検討|女帝考|『家伝上』の摂政記事をめぐって|令制中宮について」『古代女帝の時代』 校倉書房
  • 小林敏男(1983)「海さち・山さち神話の構造と特徴.-絵本・童話にみる海さち山さち神話と関連して」児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学
  • 小林敏男(1983)「クマソ・ハヤト問題の再検討」鹿児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学 83
  • 小林敏男(1982)「称制について」鹿児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学 古代女帝の時代 改題
  • 小林敏男(1982)「中天皇について」鹿児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学 C6 古代女帝の時代
  • 小林敏男(1982) 「南島前近代社会研究に関する覚書」南日本文化 古代女帝の時代 再編
  • 小林敏男(1981)「日本古代王権の特質(二).-大后制成立を中心として」古代文化史論攷 奈良・平安文化史研究会 C6 古代女帝の時代 改題改稿
  • 小林敏男(1981)「宣命と詔書式」鹿児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学 C6 古代天皇制の基礎的研究
  • 小林敏男(1981)「忍海氏について.-忍海部を通じて」鹿児島短期大学研究紀要 鹿児島短期大学
  • 小林敏男(1980)「日本古代王権の特質.-弟王・大兄を中心として 」古代文化史論攷 奈良・平安文化史研究会 C6 古代女帝の時代 大幅改稿改題
  • 小林敏男(1079)「日本古代法における首長法と王法」歴史学研究 世界史における地域と民衆、青木書店
  • 小林敏男(1979)「旦波大県主をめぐる歴史的世界.-丹後の地の古代史によせて」地方史研究 157 地方史研究協議会 79
  • 小林敏男(1976)「県・県主制の再検討(二).-ヤマトの六県を通じて(上)(下) 」続日本紀研究 続日本紀研究会 Ae3
  • 小林敏男(1976)「稲置・屯田の一考察」古代文化 古代学協会 Ae3|A3
  • 小林敏男(1975)「県・県主制の再検討(一).-「県」字の問題性-(上)(下) 」 続日本紀研究 続日本紀研究会 Ae3

参考文献[編集]