東京教育大学

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東京教育大学(とうきょうきょういくだいがく、英: Tokyo University of Education)は、かつて存在した文理・教育系総合大学である。略称は「東教大」、「教育大」。前身は東京高等師範学校東京文理科大学東京農業教育専門学校東京体育専門学校で、学術、附属施設、同窓会組織は筑波大学に引き継がれている。

沿革[編集]

1949年6月1日、東京文理科大学東京高等師範学校東京農業教育専門学校東京体育専門学校の4校合同案が文部省に申請され、新制東京教育大学が発足した。しかし、東京文理科大学教授の大部分は教育大学への不参加を表明した。校名に関わる紛争において、「東京教育大学」校名を支持する東京高等師範学校、東京農業教育専門学校、東京体育専門学校のグループと東京文理科大学関係者とが対立したためである。東京文理科大学側は、教員養成のみが強調されて学術研究の面がおろそかにされるから他の名称にすべきだという主張であった。初代学長に文部省社会教育局長・柴沼直が就任した。 1952年、1957年には警官の学内スパイ事件が起きた。1956年には朝永振一郎(1906-1979)教授が学長となり、後年「朝永時代」と呼ばれ、教育大学の黄金時代と言わている。

1973年9月に「筑波大学法」[1]が国会で成立し、同10月1日、筑波移転の推進役であった三輪知雄元学長を初代学長として筑波大学が開学した。1978年(昭和53年)3月31日 に東京教育大学は閉学し、同年4月1日に残る校地と附属施設がすべて筑波大学に移管された。

なお、閉学に際し、人文社会系教員を中心に、筑波大学以外の大学への移籍や出講を選択した教員が多く、筑波大は開学からしばらく、外国語教員などの不足に悩まされた。

教育課程[編集]

東京教育大学は、教養課程と専門課程の履修学年を分離するカリキュラムとなっておらず、学生は入学時から専門科目の授業を受けていた[2]。これは移管された筑波大学にも特色として引き継がれている。

キャンパス[編集]

キャンパスが分散し、タコ足大学と呼ばれた。

  • 大塚キャンパス - 文京区大塚、文学部、教育学部、理学部
  • 駒場キャンパス - 目黒区駒場、農学部
  • 幡ヶ谷キャンパス - 渋谷区幡ヶ谷、体育学部

跡地[編集]

  • 大塚キャンパスは、施設設備等の一部が筑波大学に引き継がれている。
  • 駒場キャンパスは、大学入試センター都立国際高校などに引き継がれている。
  • 幡ヶ谷キャンパスは、渋谷区スポーツセンターなどに引き継がれている。

校名[編集]

開学時は、国内唯一の「国立教育大学」だった。
1966年に東京以外の国立「学芸大学」が教育大学の校名となったが、東京のみ本学の存在のために校名を改めていない。

教員[編集]

詳細は「カテゴリ:東京教育大学の教員」を参照

出身者[編集]

カテゴリ:東京教育大学出身の人物」も参照

その他[編集]

  • 募集停止まで、旧帝大と同一日程の一期校だった。

参考文献[編集]

  1. 国立大学設置法(現国立大学法人法第二章の二 筑波大学の組織(第七条の十―第七条の十二))
  2. 東京教育大学学部学科専攻紹介