国鉄美幸線

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美幸線(びこうせん)は、かつて日本国有鉄道が保有・営業していた鉄道路線である。深駅宗谷本線から分岐し、興浜北線北見枝まで至る予定であった。

概要[編集]

この路線は、宗谷本線美深-北見枝幸間を結ぶ予定だった鉄道である[注 1]

美深駅から仁宇布駅までが部分開業していた[注 2]

計画通りに建設が進めば、仁宇布から先、志美宇丹、歌登を経由して北見枝幸(枝幸町)まで完工するはずであった[注 3]

歴史[編集]

駅一覧[編集]

美深駅-東美深駅-辺渓駅-仁宇布駅

運行形態[編集]

1978年(昭和53年)10月改正時点では、1日5往復が運行していて、うち1本が宗谷本線名寄駅発の仁宇布行であった。全て気動車による普通列車(各駅に停車)であった。
送り込みのため名寄ゆきが設定された時期もあった[注 4]

廃線後[編集]

仁宇布駅から5km程度レールは残っており、トロッコ王国美深が営業している。

美深駅の3番ホームは、痕跡は残っているがレールは剝がされている。そして勝手口が設置されている模様。

余談[編集]

国鉄の赤字路線日本一として話題になった時は、町長自ら東京に出向いて切符を売り「切符は売れているんだ。それでも赤字路線扱いなんだ」と抗議の声を上げていた[注 5]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 1979年に輸送密度が4000人を満たさないとして、仁宇布以北の予算がゼロ査定になった。
  2. 開業以前に美深 - 仁宇布間で簡易軌道1935年に開通していた。美幸線開業で簡易軌道は廃線となった。
  3. 開業以前に志美宇丹 - 歌登間、歌登 - 枝幸間(1949年(昭和24年)廃止)で簡易軌道が1929年に開通していた。美幸線着工で区間重複する簡易軌道は1969年(昭和44年)に廃線となった。
  4. 全列車が名寄ゆきだったらまだ利用があったのではないか?
  5. 美深町長の他、樽見線沿線自治体など、国鉄が経費として発表した細目に疑問の声を呈した地方自治体の首長や鉄道有識者は当時存在した。
出典


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路線名称は指定当時。この取り組みにより廃止された路線には、「*」を付した。
(*1)現在の只見線の一部を含む。
(*2)旅客営業のみ廃止し、路線自体は日豊本線の貨物支線として存続したのち1989年廃止。