納豆

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ご飯にかけた納豆
納豆容器の中身

納豆(なっとう)とは、大豆納豆菌で発酵させた食品である。

概要[編集]

納豆には2種類がある。「塩辛納豆」(「寺納豆」)と「糸引き納豆」である。この2つは食感や製法が全く異なるものである。また発酵に使用する菌も異なる。 「寺納豆」と「糸引き納豆」とを次の表に比較する[1]。参考文献を一部改変し、また修正を加えて示した[1][2]

名称 使用する菌 商品名 特徴
塩辛納豆 麹菌 塩辛納豆、浜納豆 蒸した大豆を麹菌で発酵させ、天日干しする。
糸引き納豆 納豆菌 丸大豆納豆  大豆を丸ごと煮て納豆菌で発酵させる。
糸引き納豆 納豆菌 挽き割り納豆 大豆を荒く挽き、表皮を除き納豆菌で発酵させる。
五斗納豆 納豆菌 五斗納豆,雪割納豆 挽き割り納豆に塩と麹菌を混ぜ熟成させる。

横山智によれば、「平安時代から「塩辛納豆」を「納豆」と称しているので、「今更変更できない」としたうえで、塩辛納豆は納豆菌を使っていないから、納豆と呼ぶべきではない」と主張する立場もある。もちろん甘納豆は納豆ではない[3]

塩辛納豆[編集]

納豆(「塩辛納豆」)は中国から日本に伝わった食べ物である。「塩辛納豆」は平安時代「鑑真和上」が寺の保存食として製法を伝えたとされている[1]。中国では大豆を麹菌で発酵させた「鼓」がその原型であり、中国では調味料として使われている。糸引き納豆とは異なり、黒く味噌のような風味がある[4]
鎌倉時代禅僧によって広く普及したと言われ、当時の記録では「大徳寺納豆」「天竜寺納豆」「一休寺納豆」が知られている。納豆に寺の名前が付いているため「寺納豆」とも言われる。ただ、寺納豆は「糸引き納豆」と違って塩辛納豆であり、乾燥した暗褐色のものであった。

糸引き納豆[編集]

糸引き納豆の起源は不明であるが、いわゆる「東亜半月弧」地帯で生まれたと考えられている。中国には食品を生で食べる習慣はほとんどない。卵かけ納豆は中国では絶対にない。なぜなら習慣もさることながら、清潔な卵を中国では入手できないからである。
八幡太郎(源義家)偶然に糸引き納豆を発見したという伝説がある。韓国の「糸引き納豆」は日本の技術を導入したものである。
納豆が一躍有名になったのは、常陸国水戸藩で製造された水戸納豆である。始祖とされるのは笹沼清左衛門。江戸で当時、流行していた糸引き納豆を見て興味を持ち、納豆についての資料を集めて製造に着手した(明治21年(1888年))。最初は失敗を重ねたが、2年後の明治23年(1890年)の観梅列車が走る日に「天狗納豆」と名付けて売り出した水戸納豆は、小粒で柔らかく、ねばりがあって現在の納豆とほとんど変わりが無く、それから水戸納豆は全国的に有名になったといわれる。

豆鼓[編集]

麻婆豆腐などに用いられることで知られる。

嗜好の範囲[編集]

茨城県水戸市が産地として有名で、東日本では納豆を好む層が多いが、西日本では嫌う層が多い。しかし、健康によいこと、匂いの薄い製品が開発されたこと、東日本からの移住者が消費することなどから、西日本でも消費が伸びている。
とはいえ九州では納豆人口は多い。

食べ方[編集]

地域・地方によって食べかたが異なるため、一概には論じられない。出汁(あるいは削り節粉)・醤油・辛子・刻み葱・玉子などの量においてはそれぞれの判断において判断されたい。砂糖を入れるところもある。
東京では「よく掻き混ぜて充分に粘りを出し、そこに醤油・辛子・刻み葱・出汁を加えて混ぜ、白飯あるいは麦飯にかけて食う」という人もいれば、「自分で混ぜるのがいい」という派もある。朝食として食べるのが一般的である。「よく練ったものが片口に入って出てきたほうがいい」という派と「自分で混ぜるのがいい」という派とがある。
味噌汁に入れて納豆汁としたり、巻き寿司にしたり、切り干し大根を加えてそぼろ納豆にしたりする場合もある。
うどんそばラーメンカレーに入れることがある(チャーハン麻婆豆腐に入れることもある。麻婆豆腐に入っている豆鼓は、要するに塩辛納豆である)。天ぷら素揚げといった揚げ物料理にも使われる。チーズとともに餃子の皮で包んで揚げ餃子とし[5]酒類のつまみ(酒肴)とされることもある。サンドウィッチにする場合、チーズとともに挟む。

作り方[編集]

蒸した大豆を、熱湯で消毒したなどに包んでおくだけで納豆に変わる。藁には枯草菌(納豆菌)が付いている。熱湯で雑菌は死滅するが、納豆菌は芽胞として生き残るので、藁が適温となると発芽し、増殖する。製造工場では藁を使わず納豆菌で発酵させる。
大豆以外の豆でも作れると、次のサイトで紹介されている。

全国納豆鑑評会[編集]

全国納豆協同組合連合会が主催する全国納豆鑑評会では、2018年(平成30年)から2020年(令和2年)まで愛知県大府市高丸食品が3年連続で最優秀賞(農林水産大臣賞)を受賞している。

最初に食べた日本人[編集]

糸引き納豆[編集]

「糸引き納豆」を最初に食べた日本人には諸説ある。「源義家説」「光厳法皇説」「聖徳太子説」「加藤清正説」「伊達政宗説」「豊臣秀吉説」などがある

八幡太郎(源義家)に関係する地には納豆伝説が残る。秋田県横手市のほか、岩手県平泉付近、宮城、茨城、栃木、京都など。 後三年合戦で源義家は前九年合戦、後三年合戦で安倍氏、清原氏を討伐した。敵方の清原家衝が金沢柵に立てこもり、戦いが長引いた。当時の馬の飼料は大豆で、源義家は大豆を煮て乾燥させ、俵に詰めて遠征に持参した。後三年の役が長期戦となり、馬の飼料の大豆が不足したため、農民に大豆を提供させたが、急いでいたため、農民は煮た大豆を冷まさずに熱いまま俵に詰めて差し出した。数日たつと煮豆は臭いを発し、糸を引いていた。この煮豆を食べるとおいしかったため、馬より兵士の食料となったという。納豆をワラに包む製法は日本の発明である。

光厳法皇説」では、丹波山の常照寺で修行中に、村人たちより新藁の苞に煮豆を入たものを献上されていた。毎日、食していたところ、糸を引くようになった。法皇は塩をかけて食べてみると、大変美味しく食べることができて、「鳳栖納豆」と言われるようになった[6]

糸引き納豆が文献で初出するのは『精進魚類物語』(室町時代)である。『平家物語』のパロディーで、作者不明だが関白二条基本の可能性が想定されている。物語では精進料理の中に糸引き納豆が登場する。また室町時代中期以降は貴族の日記にも糸引き納豆が言及されるので、室町時代には食されていたようである。

江戸時代後期の文献『守貞謾稿』(1837年頃、著者は喜田川守貞)には「大豆を煮て室に一夜して売之。昔は冬のみ近年夏のみ売之。汁に煮或は醤油をかけて食之」と記載される。納豆汁が一般的であり、(江戸では)醤油をかけて食べていたこと、関西では売られていないと書かれている。糸引き納豆は(江戸の)庶民の米飯のおかずとして売られていた[1]

結論的にまとめると、糸引き納豆は室町時代には上流階級で食べられており、江戸時代には庶民の食べ物になっていたことが分かる。しかし、いつどこで発明されたかは不明のままである。

塩辛納豆[編集]

「塩辛納豆」の文献は、平安後期に書かれたとされる藤原明衡の『新猿楽記』(1050年から1060年頃)に、好きな食べ物として「塩辛納豆」と記載されたのが最初である。 ただし、『新猿楽記』の「大根春塩辛納豆油濃茹物」の読み方については異説もある[1]。横山智は塩辛納豆と解釈するが、永山久夫は糸引き納豆と解釈する[7]

世界各地の糸引き納豆[編集]

ラオス[編集]

ラオスのムアン・シンのタイ・ヌア族の納豆製法は、大豆を軽く煎って6時間茹で、プラスティクバッグで発酵させる。糸は引かないが、味は納豆と同じだったという[1]

ミャンマー[編集]

横山の調査によれば、ミャンマー・カチン州バモー県バモーで日本と同様に糸を引く納豆を見つけた。ミッチーナ県ワンシャ村では大豆を洗って5時間ゆで、イチジク科の葉に包んで2日間暖かい場所に置いて発酵させると納豆ができるという[1]

ネパール[編集]

横山の調査によれば、ネパールの納豆はすべて「干し納豆」であった。大豆を石うすでひき、1時間程度茹で、バナナの葉で1日程度発酵させ、その後、天日乾燥させる。粒状のままでは食べないようである[1]。発酵した後は糸を引くが、乾燥させるので、完成品は糸を引かない。コシ県イタハリで食べた納豆はとても美味しかったと記載されている。

韓国[編集]

韓国には大豆発酵食品の「チョングッチャン」(청국장)があり、これも糸を引くが、日本の納豆とは食感や匂いが異なる。理由は糸引き納豆は日本産の藁に付着する納豆菌のみを使うが、「チョングッチャン」は枯草菌全般を使うためである。「糸引き納豆」は生で食べることが多いが、韓国の「チョングッチャン」は生で食べずにニンニク、ショウガ、唐辛子、塩などをまぜて調味料的に使う。味噌汁スープや鍋料理に入れて使うことになる。「チョングッチャン」は高句麗時代の発明ともいわれる。「チョングッチャン」が日本に伝わった形跡は、現時点で見当たらない。

注意点[編集]

殺菌・滅菌に対して非常に強いため、コンタミネーションを起こすときわめて厄介である。枯草菌は培養が簡単で遺伝子組換実験も使われたりするので、注意が必要である。日本酒や味噌・醤油の製造業者の中には、「納豆は決して食べない」という人も多いという。「遺伝子組替によってできた桃フレイバーの枯草菌が脱走(コンタミ)してえらい目に遭った」という話を聞いたことがある。

註釈[編集]

  1. a b c d e f g h 横山智(2014)『納豆の起源』NHK出版
  2. 雪割納豆ぐっと山形
  3. ただし、それを言ったら「スルメイカを使っていない烏賊の干物を「スルメ」と呼ぶな」とかいった議論にはなる。それはそれで興味深いし建設的な議論ではあると思うが。
  4. 大谷貴美子(2007)「大徳寺瑞峯院納豆の製造過程におけるDPPHラジカル消去活性の変化とその関連物質について」日本調理科学会誌Vol.40,No.4,pp.239-248
  5. 山谷初男氏が店主をしていた「はっぽん」では「はっぽん餃子」として知られていた。
  6. 納豆餅農林水産省
  7. 永山久夫(1976)『たべもの古代史』新人物往来社

参考文献[編集]

  • 『謎のアジア納豆』

関連項目[編集]

外部リンク[編集]