寝台車 (鉄道車両)

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寝台車(しんだいしゃ)とは、鉄道車両のうち、室内設備に寝台がある車両である。本稿では鉄道車両の寝台車について述べる。

登場した背景[編集]

鉄道車両が登場した際、旅客車の室内設備は馬車に準じた座席であった。等級に応じて質素なものから豪華なものまであったが、基本的には「椅子に座る」という移動であった。
しかし、鉄道車両が大型化して、さらに長距離を走るようになり、夜行列車の登場となると、ベッドで寝ていきたいという要望があった。経営側としても寝台料金を取って利潤をあげたいという構想があり、これによって旅客船に準じたベッドを鉄道車両に導入したのが寝台車の始まりである。

日本の寝台車[編集]

明治時代から大正時代[編集]

日本で初めて登場した寝台車は山陽鉄道の一等寝台車であった。やがて官営鉄道でも一等寝台車を登場させた。このときの一等寝台車の設備は中央通路の両側にレールと並行に開放式の二段寝台を設置したもので、昼間は下段寝台をロングシートとして使用するものであった。

車両限界の拡大[編集]

客車の車体幅を広げることによって室内に余裕ができ、これによって一等寝台車は個室となり、室内には二段寝台と洗面台が設けられた。従来の一等寝台車は二等寝台車に格下げされ、中流階級への寝台車利用に道が開き、好評につき二等寝台車の新製も続いた。これらの寝台車は車体長が20mとなり、三軸ボギー車となった。

鋼製車両の登場[編集]

木製車体は事故時に危険であり、鋼製車両が登場した。室内設備は変わらず、このときに登場した車両は1960年代まで使われたものもある。一方、優等車両に危険な木製車体を使うわけにはいかず、これらの車両は荷物車等に格下げされた。また、スハネ30、スハネ31による3等寝台車が登場した。

太平洋戦争[編集]

戦時中の貨物列車増発のため、旅客列車が削減されたため、輸送力増強のために1941年にスハネ30、スハネ31が3等車オハ34に改造されて三等寝台車が消滅した。次いで二等寝台車、一等寝台車も連結が中止された。

昭和20年代[編集]

進駐軍に優等車を接収され、さらに個室寝台の新製を要求され、運輸省マイネ40形客車が新製された。マハ29のように客車不足により寝台車の座席車への改造が相次いだ。1947年から急行列車の復活し、進駐軍からの客車の返還も実施され、座席車へ改造されていた車両の寝台車への復旧も行われた。進駐軍からの要望によりマイネ41も新製された。また、二等寝台の不足によりスロネ30が新製された。

昭和30年代[編集]

一等寝台車の運賃、急行料金、寝台料金が航空運賃よりも高くなり一等寝台車は空席が目立つ一方、二等寝台車の指定券は取得しにくい状況であった。このため、一等寝台車の二等寝台への格下げが行われた[1]。これにより二等寝台車が増加した。1956年ナハネ10の新製によって三等寝台車が復活、1958年には国鉄20系客車が登場した。さらに、1959年にはオロネ10が登場し、昭和初期に登場したマロネ29をはじめとする鋼製寝台車は廃車が進んだ。また、客車の製造抑制により、戦時中にスハネ30からオハ34に改造されていた車両がスハネ30に再改造された。

昭和40年代[編集]

1967年には581系電車が登場してスハネ30の廃車が始まった。昭和43年10月1日日本国有鉄道ダイヤ改正によってC寝台の制度廃止によりスロネ30の国鉄マニ36形客車への改造が始まった。1969年5月10日の等級制度廃止により一等・二等寝台はA・B寝台に名称が改められた。
1971年には広幅寝台を備え、分散電源方式を採用した国鉄14系客車が登場するも、北陸トンネル火災事故で集中電源方式に回帰した国鉄24系客車となり、さらにB寝台が2段化した25型客車となった。

国鉄分割民営化前[編集]

国鉄末期に特急「あさかぜ」で、客車のグレードアップが行われたものの、15型客車投入以降、国鉄下で寝台客車の新造はされなかった。

2016年以降[編集]

2022年現在主にクルーズ列車に存在する。一般夜行列車としては、サンライズ出雲・瀬戸用のJR西日本285系電車を除き、定期列車として運行する車両は無い。

脚注[編集]

  1. C寝台を参照。

関連項目[編集]