勝沼町
勝沼町(かつぬまちょう)とは、かつて山梨県東山梨郡に存在した町である。平成大合併による甲州市の発足で、自治体として消滅。現在は甲州市の地名として「勝沼町」が残っている。
概要[編集]
『葡萄の王国』として知られる町である。塩山市の南に接する町で、甲府盆地東縁に位置していた。
この町は日川の扇状地と盆地に向かって開かれた斜面が全て葡萄畑で埋め尽くされ、さらにこの葡萄を原料にしたワインの生産も盛んであり、そのため町内には葡萄やワインの資料館など、その歴史を物語る施設も数多い。
平成17年(2005年)11月1]に塩山市・大和村と合併して甲州市が発足したことにより自治体としての勝沼町は消滅した。
歴史[編集]
昭和29年(1954年)に菱山村・東雲村・東八代郡祝村と合併し、勝沼町が改めて発足した。さらに大和村の一部を編入して、合併前の勝沼町の町域が完成する。
葡萄の王国といわれるだけあり、当地で葡萄の栽培が始まったのは平安時代末期の文治2年(1186年)からと言われている。勿論、日本最古の葡萄産地で、同時に最大の産地でもある。そのためか、昔より当地は田舎ながらも重要な拠点であり、甲州街道の主要な宿駅のひとつとして繁栄した。
甲斐武田氏の時代においても当地は重要拠点と見なされ、武田信虎の弟で武田信玄の叔父である勝沼信友が当地を支配している。なお、勝沼姓は言うまでも無く、当地から名づけたものである。さらに当地には国宝に指定されている大善寺があり、聖武天皇、平清盛、北条貞時、武田信玄と多くの権力者からの保護を受けている。天正10年(1582年)の織田信長による武田征伐の際に武田勝頼が新府城を放棄して落ち延びる際にこの寺を参篭しており、勝頼の叔母の理慶尼が当寺に居住していたという。
江戸時代になると甲州街道の宿駅のひとつとしてさらに重要視される。この時代の著名な俳人・松尾芭蕉も当地を訪れた際に「勝沼や馬子も葡萄を喰いながら」という句を残している。
勝沼町の見どころ[編集]
勝沼町の年中行事[編集]
勝沼町の特産品[編集]
勝沼町の人口の変遷[編集]
平成8年(1996年)3月31日の住民台帳によると、明野村の人口は当時は9268名。平成15年(2003年)時点での人口は9271名である。