プロレス

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プロレスとは、プロフェッショナルレスリングの略語で、リング上で行う格闘技の一つである。

概要[編集]

観客に魅せるための試合をするスペクテイタースポーツである。
一般的に3本のロープで四方を囲まれたリングで試合をするが、頻繁に場外乱闘がある。ルールはレフェリーの手によってゆだねられている。
また他のプロスポーツにはない覆面や顔面ペイントの選手などもおり、魅せることに力を注ぐエンターテイメント色が強い傾向がある。

歴史[編集]

欧米[編集]

ガス灯時代からアメリカのフランク・ゴッチとヨーロッパ代表のジョージ・ハッケンシュミットが王座を争いフランク・ゴッチが勝利している。その後、絞め殺しエド・ストラングラー・ルイスの時代が来た。この頃の試合はヘッドロックやボディシザースを延々と長時間やってるような様相だった。そして、ルー・テーズの登場によりプロレスが近代化した。

その後NWA全盛期となるがタイトル戦のもつれでAWAという団体ができ更にNYのWWF(現WWE)が世界戦略を始めたので残りの二団体は健闘したが敗れてWWFの一人勝ちとなる。NWAから移行したWCWというのもあったのだが最終的に興行戦争で敗れた。

日本ではソラキチ・マツダが初めてプロレスを行った人物とされている。マツダは渡米しアメリカで活躍した。

日本[編集]

日本にプロレスを根付かせたのは、元大相撲力士の力道山である。日本プロレス(日プロ)という団体を設立してプロレスブームを起こした。大相撲から、豊登道春東富士欽壹が転身した他、力道山は他に大木金太郎などの有能な弟子を育成した。

力道山の死後、直弟子であったジャイアント馬場アントニオ猪木が台頭し、日プロは黄金時代を迎える。しかし、先に猪木が日プロから独立して新日本プロレス(新日)を1971年に立ち上げ、翌々年には日プロに代わってNETテレビ『ワールドプロレスリング』の放送権を得た。やがて馬場も日本テレビの支援で日プロから独立して全日本プロレス(全日)を立ち上げ、二人は袂を分かつ格好になって、日プロは崩壊した。
他にはTBSが主導した国際プロレスという団体もあったが、1981年に解散し、ラッシャー木村アニマル浜口らは「国際軍団」として新日に参戦、マイティ井上冬木弘道らは全日に合流した。

新日本プロレスからは、より格闘技色を強めたUWFが分派し、そこからさまざまな団体が生まれる。

全日本プロレスで引退した大仁田厚がデスマッチ路線のFMWを立ち上げて、有刺鉄線電流爆破マッチなどで活況を期す。

巨大資本のメガネスーパーがプロレスに参入して、全日本プロレスや新日本プロレスから引き抜いた選手によりSWSを設立するが、その後活動停止。解雇された選手たちが団体(WAR,NOW,他)を設立したため、多団体時代の幕開けとなる。

NOWからの流れでデスマッチ専門の大日本プロレスができる。

ルチャリブレ系のユニバーサルプロレスの系統から東北地方限定の団体のみちのくプロレスが現れ、ヒットする。

ジャイアント馬場が亡くなると、三沢光晴が率いるプロレスリング・ノアが全日から独立。日本テレビの放映権が移った。

現在は地方限定団体[注 1]やアマチュアプロレスから派生した団体[注 2]も増え、さらなる多団体時代を迎えた。

地域[編集]

主にアメリカ・メキシコ・日本などでの人気が根強い。

プエルトリコ[編集]

1980年代に栄えたプロレステリトリーの一つで、ボスのカルロス・コローンの下、アメリカ本土でも売れっ子のレスラーが集結していた。アブドーラ・ザ・ブッチャーブルーザー・ブロディといったアメリカ勢に地元プエルトリコのヒスパニック勢である、インベーダー1号、インベーダー2号やTNTなどが活躍していた。

ブロディの刺殺事件により一時は人気が途絶えたが、ビクター・キョニスらの尽力によりFMWとのパイプも出来、復活を遂げている。

韓国[編集]

2005年頃の韓国には三つの団体が存在していた。それぞれ李王杓がトップのWWA。崔太山がエースのAWF。元プロレスラーの力抜山がカムバックしてできたNKPWである。

WWAはかってアメリカの西海岸に存在した独立系の団体で、大木金太郎がここのタイトルを保持していた。2000年ルー・テーズが再開した団体で、日本のノア、LLPW、メキシコのAAAと提携していた[1]。その後、李王杓が亡くなりNo2のノ・ジシムも引退した。今は、パンクラスにいた総合格闘家の金宗王がファイトしている[2]

AWFは別名大韓プロレス協会といい、この団体は古くからある。大韓プロレス協会はWWAをバックアップしていたが、別れてしまいニューワールドプロレスという新団体を設立。すぐにこけてしまったが再開している。2005年の1月ごろにみちのくプロレスと提携した[1]その後の噂は聞かない。

NKPWは力抜山の他は中国人や韓国人の若手をスカウトして道場マッチをしていた[1]。今は、ユン・ガンチョルがエースである。

現在は、古くからある団体の他にPWF(プロレスリングフィット)、PWS(プロレスリングソサイエティ)という新興団体ができ、前者はキム・ナムソクアンクルが活動している。

後者はハダオンの他、日本のZERO-1にいたジョ・キョンホ。そして、イム・ヒョンビンがいる[3]

PWFは人員不足で活動休止し、2024年で現存してる団体は、AKW、NKPW、PWS、WWAである。

シンガポール[編集]

ある時期まではシンガポールは繁栄したマーケットだったが、プロモーター兼エースのキング・コングが1970年に自動車事故で他界し、以後マーケットはしぼんでしまった。

日本プロレスにドナルド・タケシら地元出身の選手が留学生として入門したが、いつの間にか消息不明に[4]1998年になってみちのくプロレスにシンガポール出身のロン・スーが入団したが、その後の消息は不明。

ネパール[編集]

プロレスエキスポという催しに、元グルカ兵のヒマラヤン・タイガーが来日した。その後、地元ネパールでも2004年6月に興行を開いたという[5]

パキスタン[編集]

1976年12月にアントニオ猪木がパキスタンのカラチで地元の英雄、アクラム・ペールワンと一騎打ちを行い勝利。翌年、彼の兄の子供が挑戦してきて引き分けに終わったが。結果としてパキスタンのプロレスは終了してしまった。

ボリビア[編集]

ディック東郷が引退試合をボリビアで行った。ボリビアでのプロレスは1950年頃から盛んだった[6]

テレビでも紹介されたがボリビアでは女性スカートをはいてファイトする。チョリータ・プロレスという。男子とも闘うそうだ[7]。彼女らの大半は先住民族のアイマラ族だという。いまでは男子をしのぐ人気だとか[6]

グアテマラ[編集]

かってはホセ・アサリというスーパースターがいて賑わった。他にはホルヘ・メンドゥーサがいた。 近年はそれから大分様相が違っており、身長150~160㎝の小柄な選手が多く、試合はテクニック主体でどことなくコミカル。試合はホイッスルで始まり、メキシコ人は悪役になる[8]

パナマ[編集]

1970年代にサンドカンという地元の英雄がいた。彼は自力でルチャリブレを学び日本のグラン浜田やマッハ隼人と抗争もしている。他にはエル・イドロというスターがいた。

オーストリア・ドイツ[編集]

オットー・ワンツがCWAの興行権を握り、1980年代はドイツのブレーメントーナメントなどの大会で盛況を招いたが、WWFが欧州に侵攻するようになると競争で勝てなくなりCWAは廃れた。

覆面レスラー[編集]

覆面レスラーはプロレスにしか存在しない(はず)。他のスポーツでは見たことがない。ではなぜ覆面レスラーが存在するのだろうか。それは興行的にプラスになるからだ。正体不明の覆面レスラーがいたら、正体暴きに熱が入り注目を集める。などと古くから言われてきた。だが、覆面を専業とする選手の正体を暴くと、だいたい「それはわかったけど誰?」状態になる。ただの覆面レスラーの本名が分かっただけの状態である。

これを避ける方法としては、有名なレスラーに覆面をかぶってもらう事だ。これだと正体暴きが面白くなる、はずなのだが。なぜかこのケースだと専門誌が先に正体を当ててしまう事が多い。それに、コアなファンなら体形や使用する技の種類、肌の色、胸毛の有無でだいたい見当がついてしまう。だとすると、では何のためにいるのかが不明になる。

結論から言うと、単なる人員のアクセントでしかないと思われる。もちろん売り出すために覆面を被せるケースもあるだろうが、ほとんどは個性がいまいちな選手のキャラ付けのためのような気がする。もちろん、それで売れてくれれば万々歳なのだが。

ちなみに、覆面レスラーは会社の命令でなるタイプと自ら志願してなるタイプと二通りいて、後者の方が受けがいい。

なお、メキシコルチャ・ドールは、覆面が顔のようなもので、覆面を賭けたマッチで負けると覆面を脱ぎ、素性がバラされる。これは同時にルチャ・リブレでの選手生命が断たれることを意味する。

ペインティングレスラーもキャラ付けの方向性で合っているだろう。こちらの難点は化粧が剥げてしまう事にある。

反則[編集]

反則はレフェリーが数える5カウントまでなら許される。これを踏まえて試合を見ると、5カウント数えたところで相手が反則を一度止めてから再開している。一発ではなかなか反則負けにならないのだ。ここら辺は自由裁量で、中には一発で反則負けになる行為もある。見た限りでは、相手の金的を攻撃する事は一度でアウトである。その反面、凶器を持ったレスラーが延々と凶器を使い続ける場合もあり、やはりレフェリーの采配次第だと思えなくもない。最近ではデスマッチ系の団体で反則を取っ払ってしまったので、持参する凶器が鎌だったり、ドリルだったりと年々エスカレートしている。なお、デスマッチ団体ではないが、スタンガンも使用されたことがある。

タイガー・ジェット・シンなどサーベルを持ち込んで試合前に柄で相手を殴っていたが、コスチュームの一部なので使用も許されるような状況であった。一方、全日本でのジプシー・ジョーは肉切り包丁を持参して入場し、ザ・シークに至っては、ナイフと鞭を携え本部席の机の上に突き立てたりしていたが、こちらは使われたのを見たことがない。やはり凶器も使い勝手の良い物とそうでないものがあるようだ。殺傷力の高い凶器はまず使われる事がないが、例外としてNOWで「出刃包丁マッチ」という試合があった。

凶器仕様以外の反則では、髪の毛を掴む、目を突く、噛みつく、指の関節を決めるなどがある。他に異色の反則技としては、お客さんのおにぎりを食べさせる。水を口に含んで相手にかける。灰をバラまく。蛇を持ち込んでその蛇で首を絞めるなどがある。

火もよく使われる凶器である。ザ・シークマジックで使うような「炎」を使用していた。ミスター・ポーゴガソリンを口に含んで火を吹いている。

過去にはミイラ男を名乗るザ・マミーというレスラーが身体の布にしみこませた麻酔薬の粉を振りまいて相手選手を失神させる反則技を使用していた。

場外フェンスアウト[編集]

反則とは少し違うのだが、1980年代の終わり頃、場外フェンスアウトというルールがあった。これはリング下と観客席の間に設けられている柵を超えてしまうと、即座に負けになってしまうという新ルールだった。お客様に危害を加えることになるというのがその理由だったが、このルールで引っかかって得点が伸びずに決勝に行けなかった選手は多い。

試合形式[編集]

シングルマッチと複数で戦うタッグマッチ、大勢で戦うバトルロイヤルがある。バトルロイヤル以外では、タイトルがかかったりする。外的条件を厳しくするデスマッチという試合もある。これらとは別に覆面を賭ける覆面剥ぎマッチや、勝者が敗者の髪の毛を丸坊主にする髪切りマッチなどがある。また、勝者が敗者を追い出すルーザーリーブタウンマッチというものもある。

また、戦う相手が人間ではなく訓練されただったり空気人形(ダッチワイフ)のケースもある。熊との試合は海外で良く行われていた。日本では動物愛護の観点から中止になっている。レスリング・ベアを参照してもらいたい。

2023年9月18日には貸し切りの新幹線の車内で試合をする、通称「新幹線プロレス」が行われ各マスコミニュースにするほど話題となる。

シングルマッチ[編集]

基本的に1対1で闘う形式の物で、別の選手が助太刀して試合がめちゃくちゃになる事もある。当然反則か無効試合になる。

タッグマッチ[編集]

2人以上がペアになって試合をする。タッグルールが厳格な試合と、そうでないものもある。昔はタッチをしないと交代できなかったが、1980年頃からのツープラトン攻撃の流行によってあやふやになりつつある。

日本でも増えてきてはいるが、アメリカにはザ・ロードウォリアーズやアサシンズのようなタッグ専門のレスラーがいた。

なお、1990年代ぐらいから男女がペアになって闘うミックスドマッチが度々行われるようになった。元柔道家の神取しのぶなどは、男子レスラーと闘わせても引けを取らなかった。

3Wayマッチ[編集]

三人で闘う形式の試合。バトルロイヤルに近い。

バトルロイヤル[編集]

だいたい15人前後で闘う。自分以外は敵。上手く仲間を増やした方が有利になれる。フォールルールとオーバーザトップロープルールがある。

選手が組んで裏切ったりとか見てて面白い。アントニオ猪木がバトルロイヤル嫌いで有名である。

ザ・デストロイヤーは毎回バトルロイヤルで足四の字固めを決めて負けている。いわゆるお約束である。

デスマッチ[編集]

古くは釘板をリング外に敷き詰めるネイルデスマッチが嚆矢だった。この試合を機会にデスマッチが広まった。といっても今のような過激な物は少なく、ランバージャックデスマッチが天龍源一郎対上田馬之助戦で行われたぐらいだった。ランバージャックデスマッチとはリングの外を参加選手で囲んでレスラーが場外に落ちたらみんなで押し上げるという形式で完全決着をつけるための試合だった。

国際プロレスでは選手が逃げられないように金網で四方を囲む、金網デスマッチを売りにしていた団体である。時期は早かったが過激すぎるとの理由でテレビでは放映されていない。

過激なデスマッチはFMWが先陣を切った。リングのロープを有刺鉄線で囲む有刺鉄線デスマッチ。さらに電流を流す有刺鉄線電流マッチ。小型の爆薬を仕掛けて破裂させる有刺鉄線電流爆破マッチ。地雷形式にしたデスマッチなど、どんどん先鋭化していった。また、これは失敗に終わったが火を使ったファイヤーデスマッチというのもある。FMWで失敗した物をWingで改良して成功させた。

その後、いろんな団体でデスマッチはますます過激化し、覚えているだけでも、敗者棺桶デスマッチ、まむしデスマッチや蛍光管デスマッチ、ピラニア水槽を置いて闘うピラニアデスマッチ、敗者がワニと闘うデスマッチ、会場で凶器を用意して好きなものを選べるデスマッチなどがあった。

また、これはアメリカでの試合だが。高いはしごの上で闘う形式のデスマッチもある。もともと有刺鉄線デスマッチがプエルトリコ由来という説もある。

使用される主な技[編集]

  • ボディスラム:基本中の基本。上手くやらないと怪我をすることもある。相手を抱えて投げる。ブルーザー・ブロディなどのパワーファイターはこれを片手でやる。
  • チョップ:空手チョップの応用。水平打ちと袈裟切り、バックハンドがある。最近では起き上がりこぼしチョップなど。
  • バックドロップ:背後から抱きかかえてそのまま後ろに投げる。相手は頭を打ってダウンする技。ルー・テーズが有名。
  • ドロップキック:助走をつけて飛び上がり相手の胸板や頭を両足で蹴る。ばねのある選手はその場飛びでもできる。
  • ジャーマン・スープレックス・ホールド:背後から相手を抱きかかえて、ブリッジを効かせて相手の後頭部を打ち付けてそのままフォールする技。
  • 足4の字固め:相手の足を4の形に組んでフックして決める足技。ザ・デストロイヤーやリック・フレアーが使い手。
  • 頭突き:頭を振りかぶり相手の頭部やボディなどを打ち据える。大木金太郎やボボ・ブラジルが得意。

組織運営[編集]

日本プロレスが設立されて以来、背広組と裸組の対立が幾度か問題視されている。背広組とはスタッフや営業の事であり組織運営に一役買っている。裸組とは実際に試合をするレスラーの事である。

日本の団体の多くは、社長兼レスラーの団体が多く、背広組と裸組の対立は目立たなかった。例外としては国際プロレスが挙げられる。

その後、第一次UWF、第二次UWFのように団体の長=プロレスラーでない団体が出てきて、今後増えつつある。

背広組が主体の団体は、プロレスラー視点にない自由で革新的な運営ができる点にあり、第二次UWFはこれを利して伸びたのであるが、裸組であるレスラーがいなくなってしまうともろい点がある。

一方、裸組主体の団体は、よいスタッフがいないと空中分解する事が多く、両者は持ちつ持たれつの関係にある。

女子プロレスは逆に、背広組による団体の支配が長かった。

部屋制度[編集]

SWSという団体では、相撲部屋のような仕組みを設け、各リーダーが主催する部屋ごとに対戦するシステムを構築しようとしたが、結果として派閥抗争に移行して失敗した。

現実には天龍源一郎とジョージ高野、若松市政が仕切る三つの部屋があったが力量の差から天龍の部屋に人気が集中するようになり、他の二部屋の不満がたまる原因となった。

デモンストレーション[編集]

レスラーの凄さをアッピールするためにあの手この手のパフォーマンスを行う。

  • 電話帳破り
電話帳を引き裂く。
  • 生肉食い
怪奇派レスラーがよくやるパフォーマンス。
  • 釘板に寝そべり腹の上で巨石を砕く
韓国人レスラーのゴリラ・リーがこれをやった。
  • バスをけん引する。
グレート・アントニオがこれをやった。
  • アップル・クラッシュ
フリッツ・フォン・エリックが行う。エリックは軟式野球のボールもパンクさせたそうである。
  • 天井に吊り下げているボールを壁を駆け上がって蹴り上げる。
レスラーではないが韓国テコンドーのナム・サンコンがこれをやった。
  • 首つりしても死なない。
レスラーではないがアントニオ猪木への異種格闘技戦の挑戦者がこれをやった。

天皇家とプロレス[編集]

天皇一族はプロレス好きで、よく接見したプロレスラーがガチガチに緊張したエピソードが語られている。

昭和天皇が亡くなられた際、「歌舞音曲の自粛」の国の方針に従ったテレビ局の判断で全日本プロレス中継が残念ながら放送中止になってしまった。

その他[編集]

学生プロレスは「プロフェッショナル」とかけ離れるが、エンターテイメント色が強いので、プロレスの言葉が使われる。

兄弟でないのに兄弟だと偽る「レスリング・ブラザース」という言葉がある。

メキシコやアメリカではLGBTをキャラクター付けに利用した通称「オカマレスラー」という選手が数名いた。その中で本物のゲイはあまりおらず。むしろノーマルな選手の中にゲイがいた。日本では長らく存在しなかったが、工藤あずさが第一号である。また女子レスラーの神取しのぶは、その体躯から男性呼ばわりされていた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『私、プロレスの味方です』、1981年11月10日
  • 『当然、プロレスの味方です』、1982年6月20日
  • 『THE WRESTLER BEST 1000』、1996年4月24日
  • 『実録・国際プロレス Gスピリッツ編 』、2017年12月1日

脚注[編集]

  1. 大阪プロレスなど。
  2. その中には、格闘色の全く無い西口プロレスがある。
出典