ラッシャー木村
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ラッシャー木村(木村政雄、1941年6月30日‐2010年5月24日)は日本のプロレスラー。国際プロレスでエースを務めた。
概要[編集]
北海道中川郡中川村出身で、大相撲に入門後プロレスに転向した。国際プロレスではラフ&パワーのファイターで、外国人と対戦。至宝のIWAヘビー級選手権を守り抜く。国際時代に何度となくアントニオ猪木に挑戦状を送ったが無視される。
国際プロレス崩壊後は新日本プロレスに参戦してはぐれ国際軍団として猛威を振るう。
その後訳ありで旧UWFに移籍。そこを離れて全日本プロレスにジャイアント馬場のミステリアスパートナーとして参戦するも仲間割れ。国際血盟軍を結成して軍団抗争に躍り出るも長州力とジャパンプロレス勢の参戦によりチームは縮小。長い年月の経過後ベビーフェイス化してファミリー軍団に入る。マイクパフォーマンスが受けたせいもある。故人。
人物[編集]
- 礼儀正しい事で有名で、それを示す“こんばんは事件”というものがある。
ラッシャー木村が新日本プロレスのリングに上がった時「こんばんは」といい場内の失笑をかった。これに対してラッシャー木村は「他所のリングに上がるのに挨拶しないとは何事だ」と言ったとか。 - 『イカすバンド天国』での審査員では、若いバンドマンたちに熱いエールを送っていた。