日本プロレス
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日本プロレス(にほんプロレス)は、日本で最初にできたプロレス団体である。今はもう無い。
概要[編集]
力道山が設立した。終戦後は他にも多くの団体があったのだが、力道山が人気・実力ともに上だったので、ほとんどの団体が吸収されたり消滅している。
その後、第一次・東京プロレスが設立されたり、国際プロレスができたりという波乱はあったが、名実ともに日本でナンバーワンの団体で、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲により黄金時代を迎える。
ところが日プロ幹部の放漫経営に異を唱えた猪木がクーデターを起こそうとして失敗し、猪木は追放。その後、ジャイアント馬場も離脱し、猪木が坂口征二を新日本プロレスに引き抜いたりして人が減り、テレビの放映権も喪失。大木金太郎が事実上のトップになるが、大木では屋台骨を支え切れず、日本プロレスは崩壊。残留選手は日本テレビと有期の選手契約を結んだが、報道関係には全日本プロレスへの合流とされた。