新日本プロレス

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新日本プロレスは、アントニオ猪木が立ち上げたプロレス団体である。ストロングスタイルを売りにしている。

歴史[編集]

1972年の3月に旗揚げした。カール・ゴッチを顧問にして、正統派のスタイルを打ち出した。1973年12月に坂口征二が参加して、徐々に上向き、テレビ中継(テレビ朝日)も日本プロレスから乗り換えた。大木金太郎ストロング小林との対決は日本国中を大いに沸かせる。

そして、タイガー・ジェット・シンとの抗争は盛り上がりドル箱カードとなる。若手の中から藤波辰爾が出てきてジュニア戦線を盛り上げた後、タイガーマスクが一時代を築いた。また、ウィリアム・ルスカモハメド・アリとの異種格闘技戦も話題となった。

国際プロレス倒産後に国際軍団が来襲して、これも起爆剤となる。そこから、日本人抗争のムーブメントが起き長州力率いる維新軍団との抗争は、新日本プロレスブームとまで言われた。

長州軍団はジャパンプロレスとなって新日本から出て行ったが戻ってきた。同時期、前田日明UWFにてシューティングを始めたがこちらも戻ってきた。

その空白期間をストロングマシン軍団で繋いだ。マシン軍団は4号まで増殖した。

長州は残ったが、前田は再度出て行った。そして前田は総合格闘技への橋渡し役となった。

ジュニアヘビーでは獣神サンダーライガーが牽引役になる。永井豪が原案を手掛けた。

長州の後に闘魂三銃士が出てきて場を盛り上げていた。そしてアントニオ猪木の引退があった。

闘魂三銃士の後にはテンコジ(天山広吉小島聡)が出てきて引っ張ったり、大仁田厚の参戦。渕正信率いる全日本プロレスとの対抗戦があった。

現在はブシロードが経営に携わり、棚橋弘至オカダカズチカが主体となって試合をリードし、何回めかのブームを迎えている。

過去の所属選手[編集]

所属選手[編集]

参考文献[編集]