ブーンはイラクの独裁者のようです
『( ^ω^)ブーンはイラクの独裁者のようです』は、◆e87+/04r0による日本のオンライン歴史小説(ブーン系小説)。
イラクの大統領サッダーム・フセインを主人公に、彼の政治をめぐる苦悩や2度にわたる外国との戦争を描く。2006年の年末に2ちゃんねるに掲載された。
概要[編集]
本作はスターシステムを使用した歴史小説であり、前述のAAキャラクター達が実在の人物などを演じている。なお、あくまで歴史小説であるため一部脚色や創作が入るなど史実と異なる部分もある。
あらすじ[編集]
クルド人虐殺編[編集]
舞台はバアス党政権下のイラク。当時は( ^ω^)が大統領であった。しかしイラクには多くの反体制派がおり、今回は政権No.2の(´・ω・`)が北部のクルド人が自治運動を起こしている旨を( ^ω^)に報告していた。
( ^ω^)はクルド人を煙たがり、マスタードガスを使って彼らを殺害するように指示を出した。
舞台は変わってクルド人の村。家で家事をする一家の母親J( 'ー`)しの元に娘の*(‘‘)*が帰ってくるなり異常を伝える。*(‘‘)*によれば弟の( ><)の様子がおかしいという。そこでJ( 'ー`)しが外に出てみると隣人たちが大勢倒れていた。息子の( ><)も倒れて痙攣しており、息も絶え絶えの状態であった。そして心配して近づいたJ( 'ー`)しもガスを吸い込んでしまい、体中に激痛が走り倒れてしまう。娘には近づかないように叫ぼうとするが、声を出す事はできず、J( 'ー`)しはそのまま息絶えてしまう。しかし娘の*(‘‘)*もガスを吸い込んで倒れてしまうのだった。
その後、(´・ω・`)は( ^ω^)にガスを散布した旨を伝える。(´・ω・`)によれば少なくとも1000人以上が死亡、負傷者はその10倍だという。( ^ω^)はガスの効果に満足し、( ^ω^)の冷酷さに驚いたもう一人の部下( ゚∀゚)は彼を諫めるが、( ^ω^)は(´・ω・`)に命令を出して( ゚∀゚)を暗殺させる。なお、対外的にはクルド人虐殺はイランの仕業だとして関与を否定するのだった。
イラン・イラク戦争中に起こったこの虐殺事件はハラブジャ事件と呼ばれ、マスタードガスの他にはサリンやタブンなどの化学兵器が使用されたと言われる[1]。
湾岸戦争編[編集]
1968年からバアス党の首領としてイラクの独裁者となった( ^ω^)は、反体制派は徹底的に虐殺、粛清する独裁政治を行なった一方で、農業の機械化、農地の分配、学校教育の強化など近代化と社会福祉政策を推し進め、イラクは中東有数の近代国家となった。
一方で1979年、隣国イランで革命が起こり、イラン・イスラム共和国が成立した。指導者の/ ,' 3は極端な反米、政教一致主義者であったため、西側諸国から警戒された。
イスラム革命の波及を恐れるサウジアラビア、クウェート、UAEなどがアメリカに接近し、アメリカがシーア派のイランと対立するスンナ派のイラクを後押しした事でイラン・イラク戦争が勃発。しかし決着がつかないまま停戦を迎え、1990年、両国は国交を回復した。
戦後、イラクは膨大な戦時債務を抱えていたため( ^ω^)は石油を輸出する事で外貨を獲得しようとするが、(´・ω・`)によれば今は石油が大変安値であり、それはサウジアラビアとクウェートがOPECの割当量を超えて石油を増産しているためであるという。( ^ω^)は、それは協定違反ではないかと言うが、(´・ω・`)によれば確かにクウェートは協定違反だが、サウジアラビアは違反にならないという。サウジアラビアでは王族のサウード家の私有物として石油を採掘、輸出していたのだ。
( ^ω^)はサウード家に対して怒りを募らせ、OPECに訴えたが受け入れられず、サウジアラビアとクウェートはなおも増産を続けた。またクウェートが採掘していた油田にはイラクの油田と地下で繋がっているものもあり、両国は外交衝突を繰り広げた。しかしクウェートは全く意に返さなかったため( ^ω^)は軍の動員を決定。クウェートとの国境に戦車部隊を派遣した。
周辺諸国にはアメリカを通じてこの事実が伝えられるも、クウェート首長の从゚∀从は「金銭で解決すればいい。」と考え、サウジアラビア国王の( ´_ゝ`)は無視を決め込んだ。
エジプトは仲介に動き、それによってイラクも矛を収めると思ってかエジプト大統領の( ,,゚Д゚)とPLOの(*゚ー゚)は「イラクのクウェート侵攻はないだろう」とテレビで明言した。
しかしその後、イラクはクウェートに侵攻。イラク軍はクウェート軍の50倍にあたる10万人の戦力で、6時間でクウェート全土を占領し、国を追われた从゚∀从はサウジアラビアに亡命した。
そして国連ではイラク軍のクウェートからの即時撤退を求める決議が採択されたが( ^ω^)はこれを無視した。
しかしその後、( ^ω^)の元に「サウジアラビアが米軍駐留を認めた。」という報告が入ってくる。これは( ^ω^)や(´・ω・`)にとって完全に予想外の事であった。彼らはイスラム国家が異教徒の軍隊を受け入れるはずかないと考えていたのである。しかし予想外はこれだけではなかった。他のアラブ諸国もアメリカに同調し始めたのである。アメリカ大統領の('A`)は多国籍軍を編成してイラクを攻撃する事を決定。イギリスやフランス、エジプト、サウジアラビア、さらにはアメリカと対立していたシリアまでもが多国籍軍に加わった。
そこで( ^ω^)はイスラエルがパレスチナから撤退する事を条件にアメリカと交渉しようとするが決裂。次にイラク国内の外国人を人質にとって人間の盾作戦を行うも各国の反発を招いて失敗し、人質を解放した。
こうしてイラクはクウェートから撤退しないまま撤退期限を迎え、多国籍軍はイラク攻撃を開始。ついに湾岸戦争が始まった。
多国籍軍はサウジアラビアから軍用機を発進させ、クウェートではなくイラク本土を直接空襲した。イラク空軍の航空戦力は初期の空襲で壊滅、防空レーダーにもかなり損害が出た。しかし(´・ω・`)によると、撃墜しようとしても敵機がレーダーに映らないという。さらに、地対空ミサイルを撃とうとレーダーを起動させるとそのレーダー波の発信源めがけてミサイルが飛んでくるのである。また多国籍軍はペルシャ湾洋上の軍艦、つまりイラク側の射程圏外から巡航ミサイルを発射し、イラクを一方的に攻撃。イラクは徐々に戦力を削られていった。
そのため( ^ω^)はこれをイスラム教とキリスト教の戦いに転換しようと考え、スカッドミサイルでイスラエルを攻撃。しかしアメリカの静止によってイスラエル政府は動かず、( ^ω^)は「ちくしょー!あqwせdrftgyふじこlp;@」などと叫んで取り乱した。
その後、多国籍軍が空爆を停止したのもつかの間、ついに地上軍が侵攻してくる。( ^ω^)は逆に返り討ちにするつもりであったが、戦車部隊は次々に撃破されていった。イラクはスカッドミサイルを放つも効果は無く、地上戦開始から約100時間後、遂にイラク軍はクウェートからの撤退を開始し、多国籍軍がクウェートを解放した。そして( ^ω^)は停戦を受け入れ、湾岸戦争は終結した[2]。
イラク戦争編[編集]
1991年、イラクは湾岸戦争に敗戦したが、( ^ω^)の政権は倒されなかった。そこで( ^ω^)や(´・ω・`)はイラクの復興を目指すが、戦争に敗れた事で( ^ω^)の求心力は低下。これまで抑圧されてきたシーア派住民が反乱を起こした。
この反乱に対するアメリカなど大国の支援がない事を確認すると、( ^ω^)は反乱の武力制圧を決定し、イラク軍はこれを鎮圧。シーア派の住民達は苛烈な拷問、虐殺を受けた。反乱鎮圧後、政権はより監視を強め、政権転覆を狙ったシーア派の反乱は逆に政権を安定させる事になった。
その後もこの強烈な独裁体制が崩れる事はなく、湾岸戦争から10年の月日が経った2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生。この重大なテロ攻撃を受けたアメリカの世論は沸騰し、時の大統領('A`)はテロとの戦いを宣言。アメリカは同時多発テロの犯人であるウサーマ・ビン・ラーディンを支援していたアフガニスタンを攻撃。瞬く間に同国のタリバン政権を崩壊させた。湾岸戦争時よりも更に強化された米軍を見た( ^ω^)らは、戦争だけは避けたいと考える。
だが2002年、('A`)は一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮を悪の枢軸と呼んで名指しで批判。アメリカがイラクを敵視しているのは明らかであった。
その後、アメリカはイラクに様々な圧力をかけていったが、イラク側は戦争を回避するため譲歩に譲歩を重ね、IAEAの査察も受け入れた。結果として大量破壊兵器は発見されなかったが、アメリカはこの結果を受け入れる事ができないとした。
もはやアメリカはイラク攻撃の意思を隠そうともせず、国連、ロシア、中国、フランスが反対する中、イギリスと共に攻撃の準備を進めていった。
そして2003年3月17日、('A`)はテレビ演説でイラクに最後通牒を突きつけ、( ^ω^)らに国外退去を命じ、従わなければイラクを攻撃すると明言した。それに対して( ^ω^)は激怒し戦争を決断。そして3月19日、ついにイラク戦争が始まった。
各国で反戦運動が相次ぐ中、翌3月20日には米英軍がイラク南部に上陸し、米軍はウンム・カスルやルメイラ油田を攻略した後、イギリス軍と共にバスラを攻略。さらには空挺隊がモスル、ティクリート、キルクークを攻略した。
そこで( ^ω^)は首都バグダッドが平穏である事をアピールするため対外宣伝用のテレビ中継を行う。しかし、そこに写っていたのは今まさにバグダッドに突入した米軍部隊の姿であった。(´・ω・`)はバグダッドを放棄して逃げるように勧め、( ^ω^)や(´・ω・`)らは散り散りに逃亡した。
その後4月9日、バグダッドは陥落し、5月1日には('A`)が戦闘終結宣言を出した。
しかし、イラク政府そのものが崩壊したためイラクは無政府状態となり、治安は極端に悪化した。そのため「( ^ω^)時代のほうがマシ」と考えるイラク国民も多かった。
そして12月14日、( ^ω^)はティクリート付近で拘束され、裁判にかけられた。裁判では( ^ω^)も負けじと米英を非難したが、裁判は淡々と進められ、2006年11月5日、( ^ω^)に死刑判決が下った。
( ^ω^)は「イラク万歳!アラブ万歳!アッラーは偉大だお!」と叫び、その後も冷静そのものであった。そして12月29日、ついに( ^ω^)は殺害されるのであった[3]。
配役[編集]
- サッダーム・フセイン ー ( ^ω^) 内藤ホライゾン(ブーン)
- イッザト・イブラーヒーム ー (´・ω・`) ショボン
- クルド人一家の母親 ー J( 'ー`)し カーチャン
- J( 'ー`)しの娘 ー *(‘‘)* ヘリカル
- J( 'ー`)しの息子 ー ( ><) ワカンナインデス(ビロード)
- 虐殺に反対した部下の男 ー ( ゚∀゚) アヒャ
- ルーホッラー・ホメイニー ー / ,' 3 荒巻スカルチノフ
- ジャービル3世 ー 从゚∀从 ハインリッヒ高岡
- ファハド1世 ー ( ´_ゝ`) 兄者(流石兄弟)
- ホスニー・ムバーラク ー ( ,,゚Д゚) ギコ猫
- ヤーセル・アラファート ー (*゚ー゚) しぃ
- ジョージ・H・W・ブッシュ ー ('A`) ドクオ
- ジョージ・W・ブッシュ ー ('A`) ドクオ
- コンドリーザ・ライス ー ξ゚⊿゚)ξ ツン
- アメリカ軍兵士 ー ( ´∀`) モナー
脚注[編集]
- ↑ “( ^ω^)ブーンはイラクの独裁者のようです クルド人虐殺編”. オムライス. 2021年12月31日確認。
- ↑ “( ^ω^)ブーンはイラクの独裁者のようです 湾岸戦争編”. オムライス. 2021年12月31日確認。
- ↑ “( ^ω^)ブーンはイラクの独裁者のようです”. オムライス. 2021年12月31日確認。