ホスニー・ムバーラク
ムハンマド・ホスニー・ムバーラク(1928年5月4日 - 2020年2月25日)は、エジプトの軍人、政治家。共和政エジプト第4代大統領(第2代エジプト・アラブ共和国大統領)として約30年にもわたる長期政権を維持したが、2011年の革命によって失脚した。日本ではムバラク、ホスニ・ムバラクと表記されることが多い。
経歴[編集]
エジプト北部・メヌフトィヤ県で生まれる。空軍士官学校を卒業し、1972年に空軍司令官に就任。1973年の第4次中東戦争において対イスラエル電撃作戦を指揮し、これによりエジプトで英雄として讃えられた。1975年に副大統領に就任した。
1981年10月、サダト大統領が暗殺されたことにより、大統領に昇格して就任した。サダトの対イスラエル和平路線を継承し、1982年4月にイスラエルの占領下にあったシナイ半島の全面返還を実現し、中東和平仲介に尽力してイスラエルやアメリカとの太いパイプを持つ指導者として、外交手腕を発揮する。しかし内政においては1981年から非常事態法を続けて宗教を基盤にした政党の創設を禁止したり、治安維持とイスラム勢力の封じ込めに対する強権的な手法をとったりしている。
ムバラクの政権が長期化すると、その政治は独裁的になり、国内では貧富の差が拡大してかねてからの弾圧政策も重なり、国民の不満が著しく高まっていた。2011年1月にチュニジアで大規模デモにより政権が崩壊した影響を受けて、エジプトでもデモが拡大し、2月に民主化運動・アラブの春と革命と称された反政府デモが起こり、結局ムバラクは2月11日に辞任に追い込まれた。しかし5月には反政府デモ隊の殺害に関与した罪などに問われて、いったん終身刑を言い渡された。しかし2013年のクーデターで誕生したアブドルファッターフ・アッ=シーシー政権下で無罪が確定し、2017年3月に釈放された。
既に90歳を超える高齢もあって、最晩年は体調不良が続いており、2020年2月25日に死去した。91歳没。