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飯田健一
飯田 健一 | |
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生年月日 | 1984年4月9日(40歳) |
出生地 |
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出身校 | 創価大学 |
前職 | マーケター/コンサルタント |
所属政党 | 公明党 |
公式サイト | いいだ健一 |
飯田 健一 (いいだ けんいち、1984年4月9日 - )は、日本の政治家。公明党東京都本部青年局次長。防災士。[1][2]。
経歴[編集]
生い立ち[編集]
1984年(昭和59年)4月9日、青森県 野辺地町で二人兄妹の長男として生まれる。
父の仕事の都合により3歳の時に茨城県 龍ケ崎市へ。多額の借金を抱える父は工事現場の作業員で出張が多かったため家におらず、母はパートをしながら家計を支え、健一は2歳下の妹と留守番をすることも多かったが、必ず手紙とお菓子を残してくれる母の愛情を感じながら育った。
両親の姿を通し、自分なりに今いる場所で何か貢献できないかと考えた健一は、中学校では生徒会長を務め、小学校から始めた野球でも中学でキャプテンを務めた。
高校時代は、茨城県立竜ヶ崎第一高校に入学。軟式野球部でキャプテンを務め、茨城県で最優秀選手、MVPとして表彰を受けた。
創価大学への進学が決まるも、その当日に父がリストラ。大学を卒業できるか不安を抱えながら、アルバイトをしつつ、奨学金を満額まで借りることで卒業することができた。[2]
大学卒業後[編集]
大学卒業後は、就職氷河期の中で就職浪人を経験し、法律事務所でのアルバイトを経て2008年に株式会社法学館へ入社。現場でチーフとして営業力をつけながら、マーケティングやデータ分析等の力をつける。
2013年には、スタートアップ企業、株式会社エスキュービズムにマーケティング担当として入社。主にデジタルマーケティング領域で、社内表彰制度のストイック賞を受賞。
株式会社ラクスへ転職後、2018年にマーケター、コンサルタントとして調布市で独立・起業。様々な企業とともに、売れる仕組み構築、ニーズの創出に携わる。
この間、妻と結婚して調布市へ引っ越し、礼金ゼロの神代団地に入居。団地では多くの人と交流を結ぶ。子どもが生まれ、子育ての大変さや家計の苦しさもあったが、幼児教育無償化や調布市の子育て支援制度、温かい地域の高齢者の方々にも支えていただき、子どももすくすくと育つことができた。[2]
公明党入党後[編集]
こうした中で、地域への恩返しと、より良い社会への貢献を果たしたいと考え、コロナ禍の2020年6月、公明党本部に入党。
全国の議員が使うシステムサポートの仕事や、広報分野の業務に従事。山口那津男 公明党代表(当時)や石井啓一 幹事長(当時)のそばで働き、常に「大衆と共に」との立党精神に基づいて議論し政策をまとめ、そして 現実に実行する現場を見たことが、飯田健一の財産になった。 2024年1月に発災した能登半島地震では、石井啓一 幹事長(当時)に随行。被災者の声を聴く公明党議員の姿や、安堵して自然と涙を流す被災者の姿に、公明党議員の在り方を改めて実感する。[2]
公明党は2024年7月11日の公明党中央幹事会において、2025年6月に行われる東京都議会議員選挙の予定候補者として、飯田健一を公認した。[3]
政策[編集]
● 調布・狛江をさらに「住みやすく」!若者、子育て世帯から高齢者まで全ての世代が「住んで良かった」と実感できる街づくりに全力を尽くす。[4]
●「命を守る」安心の 調布・狛江を実現!近年、頻発する台風や豪雨災害などへの備えをさらに強化。防犯対策や、医療の充実も進める。[4]
●「新しいチカラ」で魅力あふれる街づくり!IT企業への勤務や起業した経験を生かし、「新しいチカラ」が活躍する街づくりに取り組む。[4]
脚注[編集]
- ↑ “東京都議選に挑む公明予定候補22氏”. 公明新聞. 2025年1月1日確認。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c d “プロフィール”. noteいいだ健一. 2024年7月12日確認。
- ↑ “来夏の都議選 第1次公認 現職14人、新人3人 党中央幹事会”. 公明新聞. 2024年7月12日確認。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c “いいだのイイ街ビジョン”. いいだ健一. 2025年3月11日確認。