国民栄誉賞

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国民栄誉賞(こくみんえいよしょう)とは、様々な分野で活躍した人物の功績をたたえるために政府が創設した賞である。

概要[編集]

従前よりある内閣総理大臣顕彰に加え、プロ野球選手歌手など、若年等の理由で叙勲褒章授与が困難な業績に向けて、首相表彰状記念品などを贈って顕彰する。昭和52年(1977年)に当時の福田赳夫首相が創設した。日本初の国民栄誉賞受賞者は、創設の年に本塁打の世界記録を達成した台湾籍の王貞治である[注 1]。他に長嶋茂雄美空ひばりなど、学術以外[注 2]の様々な分野で業績を残した個人・団体に受賞されている。

ちなみに、盗塁記録を作った福本豊や日米での安打記録を作ったイチローは過去に受賞打診があったが断っている。

一方で、顕彰時期や顕彰基準が曖昧なことが議論となっており、作曲家などの芸術文化面では、死後受賞が常態化していることが論議の的とされている。現に音楽家の古関正裕が作曲家の父古関裕而の逝去後の授賞の打診に対し、生前に贈られるものとの考えから断ったことを明かしており、反核運動家でもあった坂本龍一の歿後でも基準に疑義が出ている。加えて、スポーツ選手ではオリンピック3連覇を果たした柔道野村忠宏メジャーリーガーの先駆けの野茂英雄が受賞していないことが、他の受賞者との衡平性を欠くとされる。

なお、国民栄誉賞は、創設した福田内閣の時ですら、内閣支持率が低かったことから王に賞を与えたことは「内閣支持率上昇のために過ぎない」などとマスコミから評されていた。このため、時の内閣が己の内閣支持率を上昇させるための顕彰で、上昇に転じたいタイミングで、政権に中立的な時の著名人を顕彰させているのに過ぎないのではとする説も囁かれている。

歴代受賞者[編集]

太字の人物は死後受賞者。

関連項目[編集]

  • 位階 - 例えば、大鵬は死後「正四位」に叙せられているが、死後受賞した国民栄誉賞より扱いが小さかった。

注釈[編集]

  1. 2022年現在、国外籍の受賞者は王のみ。
  2. 学術分野については年金受給のある文化功労者があるため顕彰されない。

外部リンク[編集]

関連項目:内閣総理大臣顕彰 - 勲章 (日本) - 褒章 - 賞杯 - 賜杯 - 位階
個人 1977年昭和52年):王貞治
1978年(昭和53年):古賀政男
1984年(昭和59年):長谷川一夫
1984年(昭和59年):植村直己
1984年(昭和59年):山下泰裕
1987年(昭和62年):衣笠祥雄
1989年平成 元年):美空ひばり
1989年(平成 元年):千代の富士貢
1992年(平成 4年):藤山一郎
1992年(平成 4年):長谷川町子
1993年(平成 5年):服部良一
1996年(平成 8年):渥美清
1998年(平成10年):吉田正
1998年(平成10年):黒澤明
2000年(平成12年):高橋尚子
2009年(平成21年):遠藤実
2009年(平成21年):森光子
2009年(平成21年):森繁久彌
2012年(平成24年):吉田沙保里
2013年(平成25年):大鵬幸喜
2013年(平成25年):長嶋茂雄
2013年(平成25年):松井秀喜
2016年(平成28年):伊調馨
2018年(平成30年):羽生善治
2018年(平成30年):井山裕太
2018年(平成30年):羽生結弦
2023年(令和5年):国枝慎吾
団体 2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表
個人27人、団体1団体が受賞している/名前の前の年は受賞年。