柔道
柔道(じゅうどう)とは、日本発祥のスポーツの一つ。
概要[編集]
競技化してスポーツとなった柔道と、柔術を元祖とする武道としての柔道は、ほぼ別物である。
摂津・灘五郷のお坊ちゃんだった嘉納治五郎が、東大在学中に柔術などの格闘技を元に編み出した競技で嘉納が創設した講道館を核に全国に普及させた。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックで競技種目となってから、国際スポーツとなった。
日常生活との関わり[編集]
「礼に始まり、礼に終わる。柔道着を着用し相手を投げる、固める、当身などをして勝利を目指す。」などと云われるが、そんなものは幻想である。
「武道の一つであり、心身の鍛錬とともに人間形成を目指す手段の一つとされ、勝負だけの格闘技でない。礼節を重んじ、相手を侮辱した態度をとることは許されない。」とも云われるが、そういうものでもない。
もっとも重要とされるのは、自護体である。両足を肩幅くらいに広げ、「いつでも抜重してジャンプできるくらいに構え、両手は『ぶらりと下げる』でもなく脇に控える」でもなく構え、背筋は「腰骨から腰椎を積み上げたように」リラックスした構えである。柔道着を着ると、「さぁ、どっからでもいらっしゃい」と両手を差出す達人がおり、踏みだそうものなら出足払いを喰らい、体重移動しようと思ったら送り足払いを喰らい、突き放そうとすると一本背負いを喰らい、覆いかぶさろうと思うと大腰とかを喰らい、下がろうとすると隅落(空気投げ。「畳返し」ともいう)を喰らうので、慎重 180cm ・体重 90kg の外国人選手が講道館に研修に来て、身長 155cm・体重 53 kg という女子中学生程度の師範が組んだとたんに身動きが取れなくなり、「いいようにオモチャにされた」という。
学校における柔道[編集]
創始者の嘉納治五郎が東京高等師範学校の校長を長らく勤めたこともあり、中等教育の旧制中学校で体操科の内容の一つとして柔道が採用されたのが学校における柔道の始まりで、高等教育でも高専柔道が盛んになった。
戦後に制定された学習指導要領にも柔道が含まれ、学校や教師の方針で体育の授業で柔道を行う学校が存在した。なお2012年に中学校の保健体育で剣道・相撲・柔道などが「武道」として必修化され、2016年で全国のおよそ58%の中学校が柔道の授業を実施している[注 1]。
また授業では柔道を行わなくとも部活動として柔道部が存在する学校も多く、大会も多数行われている。
スポーツとしては普及しているが、筋トレでそれなりに競技スポーツでは通用してしまうので、武術としてはあまり知られていない。
社会における柔道[編集]
習い事として柔道を習う子供や趣味または護身術で柔道をたしなむ大人も多いが、警備会社や警備部門を抱える企業・団体を中心に、実業団選手チームも多く存在する。
また警察学校では剣道との選択制になっており、費用の安さや体の鍛えやすさという点で柔道を選ぶ者も多いとか。
関係団体[編集]
関連項目[編集]
脚注[編集]
- 注
- 出典