全日本金属産業労働組合協議会
全日本金属産業労働組合協議会(ぜんにほんきんぞくさんぎょうろうどうくみあいきょうぎかい、英語:Japan Council of Metalworkers' Unions)は、日本の金属産業の大産業別組織。略称は金属労協(きんぞくろうきょう)、JCM(JCメタル)[1]。単にJCともいう[2]。インダストリオール・グローバルユニオンに加盟している。
名称[編集]
1964年5月16日に国際金属労連日本協議会(IMF-JC)として結成され、同年11月に国際金属労連(IMF)に正式に加盟を承認された。1975年12月に全日本金属産業労働組合協議会と改称した。1978年に日本語略称を金属労協とした[3]。2012年6月に国際金属労連(IMF)が国際化学エネルギー鉱山労連(ICEM)、国際繊維被服皮革労働組合同盟(ITGLWF)と統合してインダストリオール・グローバルユニオンを結成したことを受け、同年9月に英文略称を「IMF-JC」から「JCM」(JCメタル)に改称した[4]。
概要[編集]
1957年4月にIMF(国際金属労連)日本事務所が開設され、瀬戸一郎初代所長とIMF本部のアジア担当のアルフレッド・ダンネンバーグ書記次長が金属労組のオルグ活動を展開[5]。1964年4月に日本がIMF8条国移行とOECD加盟を認められて開放経済体制に移行すると、開放経済体制に対応した輸出産業労組が労働4団体の枠を越えてIMF-JCを結成した[6]。当初は「国際連帯の窓口」で国内運動体ではないとされたが[7]、1967年に賃金闘争連絡会議を設置、1968年にJC賃金白書を発表して春闘に参加し始め[6][8]、国内運動体化した[7]。1967年春闘は鉄鋼労連を中心とした金属4業種(鉄鋼・造船重機・電機・自動車)がリードし、「JC春闘」と呼ばれた[6]。1976年春闘からはIMF-JCが集中回答指定日を設定し、春闘相場のパターンセッターの役割を果たしている[6]。また旧同盟とともに1989年の連合結成へと至る労働戦線の「右翼的再編」を主導した[9]。加盟単産は連合の結成によってその中核的組織となり[3]、全民労協初代議長・民間連合初代会長の竪山利文(電機労連)、連合第3代会長の鷲尾悦也(鉄鋼労連)をはじめ会長や事務局長などの要職に人材を送り出している。
同じ1964年に結成された同盟とともに労働運動の「右翼的潮流」を代表する組織といわれ[9]、両組織とも「生産性向上への協力とその成果配分による生活向上をめざす」立場をとったが、同盟系が「伝統的に中堅中小企業での協調的労使関係の拡大をめざす地道な活動を得意」としていたのに対し、JC系は大企業労組が「文字通り日本を代表する産業、企業の労組として、それにふさわしい経済的な要求と国益への配慮に裏打ちされた強力な社会的発言力を求めた」点で体質に違いがあった[10]。
しばしば金属労協が連合に加盟していると誤解されることがある。金属労協に加盟している産別は連合にも加盟しているが、金属労協自体は連合に加盟していない。
所在地は東京都中央区日本橋2-15-10 宝明治安田ビル4F。
構成組織[編集]
2003年9月以降、全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合)、日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連)、全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)、全日本電線関連産業労働組合連合会(全電線)、JAMの5つの産業別労働組合で構成されている。2014年時点の組織人員は196万2000人[5]。産別加盟を原則としているが[1]、1990年9月時点では8産別5直加盟労組で構成されていた[5]。
年表[編集]
- 1964年5月16日 - 電機労連(中立労連)[注 1]、造船総連(総同盟、のち同盟)[注 2]、全国自動車(純中立)、全機金(新産別)の4産別と八幡製鉄労組、中山製鋼労組の2組合47万人が国際金属労連日本協議会を結成。
- 1966年 - 鉄鋼労連(総評)が加盟[5]。
- 1967年4月 - 自動車労連(同盟)が加盟[11]。
- 1968年12月以降 - 三菱重工労働組合(同盟)が加盟[12]。
- 1971年4月 - 自動車労協(純中立)が加盟[13]。
- 1972年 - 造船重機労連(同盟)、全金同盟(同盟)[注 3]が加盟し、6産別体制に。
- 1972年10月 - 自動車総連(純中立)結成。
- 1975年12月 - 全日本金属産業労働組合協議会に改称。
- 1989年11月 - 金属機械結成(全機金、全国金属、新産別京滋地連、純中立が組織統一)。
- 1990年9月 - 全電線、非鉄金属労連が加盟し、8産別体制に。
- 1996年8月 - 非鉄連合結成(非鉄金属労連、資源労連、三井金属鉱業労連が組織統一)。
- 1999年9月 - JAM結成(ゼンキン連合と金属機械が組織統一)、7産別体制に。
- 2003年9月 - 基幹労連結成(鉄鋼労連、造船重機労連、非鉄連合が組織統一)、5産別体制に[5]。
歴代議長[編集]
代 | 議長 | 出身産別 | 就任 |
---|---|---|---|
1 | 福間知之 | 全日本電機機器労働組合連合会(電機労連) | 1964年5月 |
2 | 宮田義二 | 日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連) | 1973年9月 |
3 | 中村卓彦 | 日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連) | 1984年9月 |
4 | 得本輝人 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 1990年9月 |
5 | 草野忠義 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 2000年9月 |
6 | 鈴木勝利 | 全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合) | 2001年9月 |
7 | 古賀伸明 | 全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会(電機連合) | 2004年9月 |
8 | 加藤裕治 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 2006年9月 |
9 | 西原浩一郎 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 2008年9月 |
10 | 相原康伸 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 2014年9月 |
11 | 髙倉明 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 2017年9月 |
11 | 金子晃浩 | 全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連) | 2021年9月 |
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ a b JCMとは 金属労協/JCM
- ↑ 世界大百科事典 第2版の解説 コトバンク
- ↑ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 コトバンク
- ↑ 英文略称を「JCM」(JCメタル)に変更/金属労協の定期大会 労働政策研究・研修機構(JILPT)
- ↑ a b c d e 写真に見る金属労協50年の歩み(PDF) 金属労協(2014年)
- ↑ a b c d 岩崎馨、降籏英明『春闘の歴史と課題――労働組合の変遷とともに』日本生産性本部生産性労働情報センター、2018年
- ↑ a b 六本木敏、鎌倉孝夫、村上寛治、中野洋、佐藤芳夫、高島喜久男『対談集 敵よりも一日ながく――総評解散と国鉄労働運動』社会評論社、1988年、273頁
- ↑ 久谷與四郎「「春闘」の意味と役割, 今後の課題」『日本労働研究雑誌』2010年4月号(No.597)
- ↑ a b 芹沢寿良「イデオロギー攻勢の今日的状況と労働組合運動の課題(PDF)」、高知短期大学『社会科学論集』第四六号 抜刷、1983年9月30日
- ↑ 篠田徹「再び"ニワトリからアヒルヘ"?――五五年体制の崩壊と連合(PDF)」『年報政治学』47巻、1996年
- ↑ 歴史 日産労連
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『新版 社会・労働運動大年表』労働旬報社、1995年
- ↑ あゆみ 自動車総連
関連項目[編集]
- 古賀専(IMF-JC副議長)
- 宮田早苗(IMF-JC副議長)
- 金杉秀信(IMF-JC副議長)
- 藁科満治(IMF-JC副議長)
- 新沼行(IMF-JC副議長)
- 服部光朗(IMF-JC副議長)
- 久野治(IMF-JC事務局次長)
- 佐々木正典(IMF-JC事務局次長)
- 國竹七郎(IMF-JC九州地連議長)
- 晴気健三(IMF-JC九州地連事務局長)
- 芦村庸介