芦村庸介

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芦村 庸介(あしむら ようすけ、1925年8月3日 - 1998年1月17日[1])は、労働評論家[2]。週刊労働ニュース名誉論説主幹[3]

人物[編集]

山口県生まれ。1948年東京大学農学部農業経済学科卒業。労働省に入省、「週刊労働」編集担当官。1959年日本労働協会に転じ、1969年まで「週刊労働ニュース」編集長。1968年日本労働協会広報部長。1972年「週刊労働ニュース」主幹。1975年日本労働協会広報部長、1978年幹事、1979年理事、1983年顧問[4]

1981年1月に清水一矢加部勝美樋口弘其江本嘉幸内海一栄らとともに日本労働ペンクラブを結成した[5]。1988年9月に財団法人中部産業・労働政策研究会(中部産政研)が発足すると顧問に就任した[3]

人物[編集]

雑誌『労働レーダー』1998年3月号に「<追悼特集>芦村庸介先生を偲ぶ」(鷲尾悦也竪山利文工藤幸男他)が掲載された。

服部光朗(元ゼンキン連合会長、JAM初代会長)によると、1999年9月9日のJAM結成は9の並ぶ重陽の節句が良いとの芦村の進言を受けて決められたという[6]

久野治(元三菱電機労働組合副執行委員長、IMF-JC事務局次長)の著書『さよならIMF・JC――創生期の人びと』(中日出版、2016年)に「IMF・JC応援団長・芦村庸介」という章がある[7]

著書[編集]

  • 『IMF・JCの世界――その行動論理100の質問に答える』(編著、銀座出版、1968年)
  • 『労働運動の話』(日本経済新聞社[日経文庫]、1973年)
  • 『労組幹部――その論理と行動を斬る』(日新報道、1973年)
  • 『悪魔のえんぴつ――日本的労使関係への呪文』(日本労働協会、1979年)
  • 『大企業労使の喧嘩祭り――みこしを先導する若衆頭たち』(日本労働協会、1982年)
  • 『連合司令部――労戦統一の立役者夜話』(第一書林、1987年)
  • 『総評の解散と社会党への影響』(自由民主党調査局政治資料研究会議[情報資料]、1989年)
  • 『楽画記えんぴつ――新連合時代形成の背後にあるもの』(日本労働協会、1989年)
  • 全民労協運動史』(編著、全民労協運動史刊行委員会、1992年)
  • 『連合NOW――21世紀労働運動の展望』(高木郁朗共編、労働教育センター、1994年)
  • 『戦後50年労働運動の曲がりかど――戦後労働運動史』(全国勤労者福祉振興協会[福振協資料]、1998年)

監修[編集]

  • 『歴代労相と戦後労働行政秘史――千代田クラブの"旗手"たちの素顔』(戦後労働行政秘史編纂委員会編、労働問題研究会議、1984年)

出典[編集]

  1. 政策研究大学院大学C.O.E.オーラル・政策研究プロジェクト『生産性運動オーラル・ヒストリー 労働部編 第1巻』政策研究大学院大学、2003年
  2. 日本労働研究雑誌 1997年4月号(No.443) 労働政策研究・研修機構(JILPT)
  3. a b (財)中部産政研とは―(財)中部産政研を理解するためにPDF」『産政研フォーラム』Vol.0、1988年
  4. 「最近の労働情勢(講苑)」『中央労働時報』第766号、1987年8月
  5. 沿革 日本労働ペンクラブ
  6. 『労使研』「情報」第53号PDF”. 労使関係研究協会 (2017年9月). 2019年12月7日確認。
  7. さよならIMF・JC ─創生期の人びと 中日出版株式会社