ゼンキン連合
ゼンキン連合(ぜんきんれんごう)は、かつて存在した機械・金属産業の産業別労働組合。1951年に全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)として結成され、1991年にゼンキン連合に改称した。1999年に全国金属機械労働組合(金属機械)と統合してJAMを結成した。日本労働組合総連合会(連合)、全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)に加盟していた。
概要[編集]
1946年9月23日、総同盟の大産業別整理の方針にもとづき、一般機器、鉄鋼、造船、電機、車輌など金属産業全体を包含する大産業別組織として全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)が結成された。1950年10月の第5回大会で総評結成に伴う総同盟解体方針や役員選挙をめぐって左右両派が対立し、右派の退場により組織が事実上分裂。左派は全金同盟を解散し、鉄鋼・造船部門を分離した機械金属産業の中産業別組織として全国金属労働組合(全国金属)を結成した。これに対し右派は1951年3月18日に岸和田で全金同盟再建大会を開催し、全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)を結成した。会長は前田種男(大阪)、副会長は井堀繁雄(埼玉)、宮本勇(岐阜)、主事は天池清次(神奈川)。組合員数約5万人。
1964年に同盟に加盟した。1966年にIMFへの直接加盟を申請したが却下され、1972年にIMF-JCに加盟した。1986年3月に全国金属・全機金・機労会議と「機械金属共闘」を発足させた(1994年機械金属組織統一協議会に改称)。1988年2月9日に小松製作所労組、全矢崎労組、村田機械労組、自動車部品中立労組連絡協議会と全日本金属産業労働組合連合会(全金連合)を結成し、連合に加盟した。1991年9月5日に金属産業に限らない複合産別を目指して全金同盟からゼンキン連合と改称し、全金連合は同年10月24日にゼンキン連合連絡協議会(ゼンキン連協)と改称した。1997年9月30日に全国金属機械労働組合(金属機械)と組織統一を目指してJAM連合会を結成し、1999年9月9日に金属機械と統合してJAMを結成した。金属機械は1989年に全国金属が旧新産別系の全機金および京滋地連と統合して結成した産別であり、JAMの結成によって半世紀にわたる全国金属と全金同盟の対立に幕が下りた。
ゼンキン連合は1993年に結成された中小連絡共闘協議会(中小連協)の中心組織だった。金属産業の労組は鉄鋼、造船、自動車など大手メーカーが中心だが、機械金属の分野は中小企業の組合が多く、労使協調を掲げる同盟系の中では戦闘性があった。ものづくり基盤技術振興基本法(1999年3月成立、6月施行)はゼンキン連合の働きかけで成立した。
参考文献[編集]
- 愛知県編『愛知県労働運動史 第2巻(昭和26~30年)』(第一法規出版、1983年)
- 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第59集 1989年版』(労働旬報社、1989年)
- 法政大学大原社会問題研究所編『新版 社会・労働運動大年表』(労働旬報社、1995年)
- 篠田徹「再び"ニワトリからアヒルヘ"?――五五年体制の崩壊と連合(PDF)」『年報政治学』47巻(日本政治学会、1996年)
- ものがたり戦後労働運動史刊行委員会編『ものがたり戦後労働運動史Ⅲ――総評の出発から労闘ストへ』(教育文化協会、発売:第一書林、1998年)
- 岩崎馨、降籏英明『春闘の歴史と課題――労働組合の変遷とともに』(日本生産性本部生産性労働情報センター、2018年)
- ゼンキン連合とは - コトバンク
- 全金同盟(全国金属産業労働組合同盟)[労]1946.9.23 - 法政大学大原社会問題研究所
- 全金同盟(全国金属産業労働組合同盟)[労]1951.3.17 - 法政大学大原社会問題研究所