中野洋
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中野 洋(なかの ひろし、1940年2月[1] - 2010年3月4日)は、労働運動家。元・国鉄千葉動力車労働組合(動労千葉、千葉動労)委員長。
経歴[編集]
東京都旧本郷区生まれ。1944年千葉県勝浦市に疎開[1]。1958年千葉県立千葉第一高等学校(現・千葉県立千葉高等学校)卒業。1959年国鉄に入社。1963年動労千葉地本[注 1]青年部長[3]。1965年千葉県反戦青年委員会議長[1]。1973年動労千葉地本書記長。1979年動労本部から独立・分離、国鉄千葉動力車労働組合(千葉動労)結成に参加、同労組書記長。1983年千葉動労委員長[3]。1985~1986年国鉄分割・民営化に反対して二波のストライキを指導[4]。1989年2月佐藤芳夫と呼びかけて全国労働組合交流センターを結成[5]、同センター代表[6]。2001年4月労働者学習センターを設立[1]、同センター代表[4]。同年10月動労千葉委員長を退任、常任顧問[1]。
2010年3月4日、肝管がんのため死去、70歳[7]。
著書[編集]
単著[編集]
- 『動労千葉 俺たちは鉄路に生きる――国鉄分割・民営化に異議あり!!』(社会評論社、1986年)
- 『甦る労働組合』(社会批評社、発売:新泉社、1995年/編集工房 朔、発売:星雲社、2008年)
- 『戦後労働運動の軌跡と国鉄闘争』(アール企画、発売:星雲社、2000年)
- 『俺たちは鉄路に生きる2――動労千葉の歴史と教訓』(労働者学習センター、2003年)
共著[編集]
- 『対談集 敵よりも一日ながく――総評解散と国鉄労働運動』(六本木敏、鎌倉孝夫、村上寛治、佐藤芳夫、高島喜久男共著、社会評論社、1988年)
- 『大失業時代の労働運動――労働組合の再生と復権』(岩井章共著、社会批評社、1994年)
- 『郵政民営化を撃つ!――闘う全逓の再生のために』(岩本正治共著、労働者学習センター、2005年)
監修[編集]
- 『俺たちは鉄路に生きる3――国鉄分割・民営化20年 動労千葉の闘い』(労働者学習センター、2007年)
原作[編集]
- 『俺たちは鉄路に生きる(上)』(コマンド月形作画、国鉄千葉動力車労働組合監修、労働者学習センター、2006年)
脚注[編集]
- 注
- 出典
- ↑ a b c d e 鉄路に生きた生涯-中野洋前委員長が語る動労千葉の歴史と闘い 国鉄千葉動力車労働組合(2018年3月9日)
- ↑ 東日本旅客鉄道(千葉動労不採用)事件
- ↑ a b 六本木敏、鎌倉孝夫、村上寛治、中野洋、佐藤芳夫、高島喜久男『対談集 敵よりも一日ながく――総評解散と国鉄労働運動』社会評論社、1988年
- ↑ a b 中野洋『甦る労働組合』編集工房 朔、2008年
- ↑ 読者の声、国労働組合交流センターとは、編集後記 月刊『労働運動』34頁(0333号14/01)(2017/12/01)
- ↑ 中野洋労組交流センター初代代表を偲ぶ会 月刊『労働運動』34頁(0313号06/01)(2016/04/01)
- ↑ 中野洋動労千葉前委員長偲ぶ会へ 動労千葉が案内状 週刊『前進』08頁(2434号2面4)(2010/04/05)