服部光朗

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

服部 光朗(はっとり みつろう、1939年 - )は、労働運動家。元・ゼンキン連合会長、JAM初代会長。

経歴[編集]

東京都生まれ[1]。1962年法政大学工学部機械工学科卒業。ヂーゼル機器に入社[2]。1963年ヂーゼル機器労働組合執行委員。同労組書記長、執行委員長を経て[1]、1972年全金同盟埼玉地方金属執行委員長。1981年全金同盟副組合長(のちゼンキン連合副会長)[2]。1989年連合埼玉初代会長(1993年まで2期4年)[3]。1993年9月ゼンキン連合会長[2]金属労協副議長(2002年9月まで)[4]。のち連合副会長。1995年友愛会会長[2]。1997年9月JAM連合会会長。1999年9月JAM初代会長(連合副会長を兼務)。JAM会長退任後は相談役[1]。金属労協副議長退任後は顧問[5]。2010年秋の叙勲で旭日中綬章受章[3]

著書[編集]

  • 『「もの」づくりが日本を救う』(ゼンキン連合モノづくりプロジェクト共編、日本工業新聞社、1999年)

出典[編集]

  1. a b c 高木郁朗『ものがたり現代労働運動史2 1993~1999――失われた10年の中で』明石書店、2020年、177-178頁
  2. a b c d 日外アソシエーツ編『新訂 現代日本人名録2002 3.そ~ひれ』日外アソシエーツ、2002年
  3. a b 『MONTHLY連合埼玉Vol.227』PDF連合埼玉、2011年1月1日
  4. 金属労協50年史 新たな50年に向けて「飛躍」PDF』全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)、2015年
  5. 役員体制 金属労協/JCM