宮田早苗 (政治家)

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宮田 早苗(みやた さなえ、1919年6月12日 - 2011年1月27日)は、政治家。民社党衆議院議員(5期)。元鉄鋼労連委員長の宮田義二は実弟。

経歴[編集]

山口県大津郡三隅町(現・長門市)生まれ[1]。1932年三隅明倫高等小学校卒[2]。1937年日本製鐵[注 1]八幡製鐵所に入社。1940年から敗戦まで近衛歩兵として軍隊に勤務。1946年八幡製鐵労組青年部の結成に参加。1951年本部執行委員[3]。1952年12月に実弟の宮田義二らと労働組合主義の立場をとるインフォーマルグループ・盟友会を結成[4]。1959年八幡製鐵労組副組合長、1962年組合長[3]。1964年5月IMF-JC副議長(1966年11月まで)、同年10月九州地連議長(1966年度まで)[5]。1970年1月高畑敬一松下電器労組委員長らと全民懇を結成、代表幹事[6]。同年4月新日鐵労協初代会長[7]

1972年7月新日鐵八幡労組組合長を退任[8]。同年12月の第33回衆議院議員総選挙に福岡2区から民社党公認で立候補して初当選し、連続5期務めた。1986年7月の第38回衆議院議員総選挙には立候補せず引退した(後継者は北橋健治)。衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員、民社党中央執行委員、鉄鋼労連顧問、八幡製鐵労組顧問、福岡民労協名誉会長なども歴任[2]。1989年に勲二等瑞宝章を受章[9]

2011年1月27日、敗血症のため北九州市の病院で死去、91歳[10]

人物[編集]

総評に属する鉄鋼労連の組織内候補。衆院福岡2区の北九州市では新日本製鐵による労使一体の企業ぐるみ選挙が行われた[11]。『日本経済新聞』(1970年9月23日付)の「交遊抄」で、永野重雄新日鉄会長、藤井丙午同副社長、入江冨雄製鉄運輸社長(元八幡製鉄所労働部長)などが友人であると自慢した[12]。また『朝日ジャーナル』のインタビューで、会社の利益と下請労働者の利益が対立したらどちらを取るかと問われ、会社の利益であると即答した[13]

宮田義二は実弟で、宮田兄弟は元共産党[14]鷲尾悦也は宮田の元議員秘書[15]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 1950年八幡製鐵株式会社。1970年新日本製鐵株式会社。

出典[編集]

  1. 自治省『衆議院議員総選挙選挙公報集 昭和58年12月18日執行』自治省行政局選挙部、1984年
  2. a b 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年
  3. a b 日本民政研究会編『国会議員総覧 1986年版』 新評社、1986年
  4. 八幡製鉄所所史編さん実行委員会編『八幡製鉄所八十年史 部門史 下』新日本製鉄八幡製鉄所、1980年
  5. 金属労協50年史編纂プロジェクトチーム編集『金属労協50年史 新たな50年に向けて「飛躍」PDF』全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)、2015年
  6. 矢加部勝美編著『全民労協の研究』日本生産性本部、1985年
  7. 新日本製鉄労働組合連合会『新日鉄労働運動史 1』新日本製鉄労働組合連合会、1982年
  8. 新日本製鉄八幡労働組合編『八幡製鉄労働運動史 続下巻』新日本製鉄八幡労働組合、1978年
  9. 日外アソシエーツ株式会社編『現代日本人名録 1998』日外アソシエーツ、1998年
  10. 宮田早苗氏死去/元民社党衆院議員 | 全国ニュース 四国新聞社(2011年1月30日)
  11. 杣正夫編著『一九七六年日本の総選挙――ロッキード選挙と共産党の敗北』国民政治研究センター、1979年
  12. 鎌田慧『死に絶えた風景――ルポルタージュ・新日鉄』講談社文庫、1985年、143頁
  13. 川上忠雄編著『岐路に立つ日本社会党――路線論争と自主管理社会主義』社会評論社、1981年
  14. 『死に絶えた風景――ルポルタージュ・新日鉄』145頁
  15. 法政大学大原社会問題研究所編『日本の労働組合100年』旬報社、1999年

関連文献[編集]

  • 芦村庸介『大企業労使の喧曄祭り――みこしを先導する若衆頭たち』(日本労働協会、1982年)
  • 斎藤一郎著、増山太助、村上寛治責任編集『斎藤一郎著作集 第8巻 日本の労働貴族』(あかね図書販売、2007年)
  • 久野治『さよならIMF・JC――創生期の人びと』(中日出版、2016年)