新沼行
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新沼 行(にいぬま こう、1930年 - )は、労働運動家。
岩手県釜石市生まれ。1949年釜石工業高校卒業。日本製鐵[注 1]・釜石製鐵所に入社[1]。1960年釜石製鉄労組執行委員、1966年同書記長、1968年鉄鋼労連書記次長、1972年新日鐵労連初代書記長、1978年中村卓彦の後を受けて同会長[2]。1986年9月鉄鋼労連委員長[3]、IMF-JC副議長[4]。1987年11月民間連合初代副会長、12月「民社党と語る会」代表世話人[5]。1989年11月連合初代副会長[6]。1990年8月IMF-JC副議長を退任[4]。同年9月鉄鋼労連委員長を退任、後任は鷲尾悦也[7]。多国籍労組会議代表幹事[8]、日本生産性本部常任理事[9]、中小企業退職金共済事業団監事も歴任[10]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 「影の社長たち――名物労組委員長を裸にする」『財界』29巻23号、1981年10月
- ↑ 芦村庸介『大企業労使の喧曄祭り――みこしを先導する若衆頭たち』日本労働協会、1982年
- ↑ 『読売新聞』1986年9月21日付朝刊
- ↑ a b 『金属労協50年史 新たな50年に向けて「飛躍」(PDF)』全日本金属産業労働組合協議会(金属労協)、2015年
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第58集(1988年版)』労働旬報社、1988年
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第60集(1990年版)』労働旬報社、1990年
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第61集(1991年版)』労働旬報社、1991年
- ↑ 労働省編『資料労働運動史 平成元年』労務行政研究所、1993年
- ↑ 青木慧『KKニッポン労連』青木書店、1989年
- ↑ 朝日新聞社編『朝日年鑑 キーパースン 1994年版』朝日新聞社、1994年