出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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とは、ディスコミュニケーションの結果として生じる結果である。

概要[編集]

謎とは、ある人物から別の人物にメッセージが送られたとき、そのメッセージの意味がわからなかった場合に生じる「イライラするような、もどかしい感覚」をいう。そのメッセージが「つまんないこと」であるかどうかは謎を解いてみないとわからないので、さらに悩ましい。
世の中には解かなくたっていい(または、解かないほうがいい)謎もあるのだが、謎が解けたときのスッキリ感に依存してしまう「謎マニア」はいるわけで、数学者や物理学者や天文学者やおたくやエンペディアンのような人間が生まれる。 こういう連中は独裁国家を運用するのには非常に厄介であるために、国民に「考えるな! 悩むな!」と強制しようと考えてメディア規制を行なったりする。すなわち独裁者は謎が嫌いだということが論理的に帰結される。

具体例[編集]

  • ナスカの地上絵
  • ヴォイニッチ手稿
  • ギザの三大ピラミッド

は謎だが、

  • 邪馬台国はどこにあったか
  • 法隆寺の謎

は、「謎」の定義から外れるかもしれない。
古代バビロニアの数学粘土板プリンプトン322は「あらかた解けた謎」である。「誰かが、プリンプトン322を見ればわかる誰かに宛てたメッセージ」が書かれていることは確かだが、「誰に宛てた」「どのようなメッセージだったか」は謎であった。で、結論は「古代バビロニアの書記が、上司と同僚に宛てた連絡票」であるというところまでは解かれているが、「作成者は何を考えていたんだ?」となるとわけがわからん。エンペディアの記事にはこのような「謎の種」が多く埋もれており、これを発芽させ育成し花を咲かせるのがエンペディアの陰謀なのかもしれない。

人間生活との関わり・利用[編集]

謎は解くよりも見出すほうが難しい。たとえば「魚の大量死」を謎とみる人は「魚が酸欠死したのを見て驚いた」だけの話である。逆に「なんで死んだ魚を見ることが少ないんだろう?」と考える人間は貴重である。つまり、大抵の魚は獲って喰われちゃってるという話ではあるのだが、「だったら生物ピラミッドの頂点の奴の死骸がどこかにあるはずで、それはどうなっちゃうのが普通なのか?」を考える奴がいて、海底に沈んだ鯨の死骸がクモヒトデとかに喰われて過程を研究していたりもする。
は人間の視覚の産物であり、物理的な「光」「光束」とは区別されるべきだという話があり、謎は「人間にとっての謎」である。そうなると「謎」は人間に活きる活力を与えるので、「研究者は、認知症になりにくいのではないか?」と考えられる。

その他[編集]

「謎の百科事典もどき」であるエンペディアに、いままで謎というページがなかったというのは謎である。

脚注[編集]

関連項目[編集]