JR美祢線

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
美祢線から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
西日本旅客鉄道
美祢線
基本情報
日本国旗.png日本
所在地山口県
種類普通鉄道在来線幹線
起点厚狭駅
終点長門市駅
駅数12駅
電報略号ミネセ
開業1905年9月13日
全通1924年3月23日
所有者西日本旅客鉄道
運営者西日本旅客鉄道
使用車両キハ120形
路線諸元
路線距離46.0 km
軌間1,067 mm
線路数全線単線
電化方式全線非電化
最高速度85 km/h

美祢線(みねせん)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線幹線)である。

概要[編集]

山口県内陰陽連絡鉄道の一つ[1]瀬戸内海側の厚狭川流域を遡り、分水嶺大ヶ峠大ヶ峠トンネルで貫通、日本海側の深川川流域に結ぶ[1]

当路線は日本海軍による大嶺炭田開発要請により、石炭輸送を主な目的として開業したものであり、無煙炭と石灰石の輸送で賑わい、美祢は石灰石を大量に積み出していたことがあり、貨物発着トン数では全国第2位にランクインされていたことがあった[1]。1971年(昭和46年)に炭鉱が閉山、1982年(昭和57年)には石灰石採掘にあたっていた宇部興産が石灰石採掘専用の宇部・美祢高速道路を開通させて、100t積みのダブルトレーラートラックよる石灰石輸送を始める事によって、美祢線は石灰石輸送の主役の地位を失った[1]

沿革[編集]

※出典:[1]

  • 1905年明治38年)9月13日:山陽鉄道厚狭 - 南大嶺間開業。
  • 1906年(明治39年):山陽鉄道厚狭 - 南大嶺間を国有化。
  • 1909年(明治42年):線路名称制定より、大嶺線と称する。
  • 1916年大正5年):石灰石開発のため、美祢軽便鉄道南大嶺 - 重安間開業。
  • 1920年(大正9年):美祢軽便鉄道南大嶺 - 重安間を国有化、これにより、美禰軽便線となる。
  • 1922年(大正11年):美禰軽便線を美禰線に改称。それ以降は重安以北に延長。
  • 1924年(大正13年)3月23日:正明市(現・長門市)まで日本国有鉄道(国鉄)により全通。それと共に大嶺線を併せて美禰線と称する。
  • 1963年昭和38年):美祢線に改称。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道の分割民営化に伴い、JR西日本の所属路線となる。
  • 1997年平成9年):大嶺支線廃止。

駅一覧[編集]

  • 全列車普通列車(すべての旅客駅に停車)※臨時列車を除く
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
  • 全駅山口県内に所在。
駅名 駅間
営業キロ
累計
営業キロ
接続路線 線路 所在地
厚狭駅 - 0.0 西日本旅客鉄道■ 山陽新幹線山陽本線 山陽小野田市
鴨ノ庄信号場 - 2.0  
湯ノ峠駅 4.2 4.2  
厚保駅 6.0 10.2   美祢市
四郎ケ原駅 3.0 13.2  
南大嶺駅 3.7 16.9  
美祢駅 2.5 19.4  
重安駅 2.9 22.3  
於福駅 4.9 27.2  
渋木駅 9.9 37.1   長門市
長門湯本駅 3.9 41.0  
板持駅 2.3 43.3  
長門市駅 2.7 46.0 西日本旅客鉄道:山陰本線山陰本線仙崎支線

廃止区間(大嶺支線)[編集]

全線山口県美祢市に所在。

詳細は「JR大嶺支線」を参照

廃駅・廃止信号場[編集]

廃止区間のものを除く。( )内は厚狭駅起点の営業キロ。

  • 松ヶ瀬信号場:1997年廃止、湯ノ峠駅 - 厚保駅間 (6.6km)
  • 上領停留場:1920年廃止、美祢駅 - 重安駅間 (約20.8km)

脚注[編集]

[ヘルプ]

出典[編集]

  1. a b c d e 美祢線』 - コトバンク

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

路線
営業路線 山陽本線G R 広島地区) - 山陰本線仙崎支線) - Z 福塩線 - P 芸備線 - Y 呉線 - B 可部線 - 岩徳線 - 山口線 - 宇部線 - 小野田線本山支線) - 美祢線
子会社分離路線 宮島連絡船(2009年子会社移管)
廃止路線 岩日線(1987年転換) - 大嶺支線(1997年廃止)
車両基地・車両工場 下関総合車両所
乗務員区所(鉄道部以外) 広島運転所 - 広島車掌区 - 岩国運転区 - 徳山列車区 - 山口列車区 - 下関列車区
鉄道部・地域鉄道部
現有組織 長門鉄道部 - 三次鉄道部
廃止組織 三原地域鉄道部 - 徳山地域鉄道部 - 山口地域鉄道部 - 下関地域鉄道部 - 宇部新川鉄道部 - 山口鉄道部 - 可部鉄道部
関連項目 JR西日本硬式野球部 - JR広島病院