幕府

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幕府(ばくふ)は、日本の中世及び近世における征夷大将軍などの武家の最高権力者をトップとする武家政権のことをいう。あるいはその武家政権の政庁、征夷大将軍の居館・居城を指す名称としても用いられる。

概要[編集]

幕府とは中国で出征中の将軍の陣営を意味していた。
日本では近衛府の唐名から転じて近衛大将及びその居館、のちに武家政権の首長である征夷大将軍およびその居館、さらに武家政権そのものを意味するようになった。
歴史学上の用語としては抽象的に武家政権を意味し、鎌倉・室町・江戸の3幕府を一貫して把握するものとされる。従って政権の首長が征夷大将軍でない時期にその政権を幕府と称することや幕府の原型となる組織を形成したこともあり、現在では首長の征夷大将軍の任命をもって幕府成立とはしない考え方もある。

鎌倉幕府は源頼朝が挙兵して関東に地盤を築き上げた治承4年(1180年)に事実上成立し、征夷大将軍叙任前の頼朝は「鎌倉殿」と尊称されている。また、鎌倉幕府の征夷大将軍(源氏将軍)が源実朝で断絶し、次の将軍となる藤原頼経が叙任するまで数年間の空白期間が存在するが、この間も執権北条義時や姉で尼将軍北条政子により、頼経を名目上の鎌倉殿として幕府は存続している。

鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏建武政権の中で政権を掌握して既に事実上の将軍と見なされていた時期があり、また室町幕府では、第13代将軍・足利義輝三好三人衆らによって暗殺されて次の将軍である足利義栄が就任するまで3年間の空位期間があったが、その間も幕府の機構自体は存続していたと見なされている。また、15代足利義昭織田信長によって京を追放後、将軍位在職のまま備後国鞆に逃亡して、鞆で名目上の亡命幕府を作っている。

室町幕府成立後、武家の最高権力者である征夷大将軍にはいわゆる「武家の棟梁」である「源氏」を祖先に持っていないといけないというお約束事があった[注 1]。それもあって、羽柴秀吉は備後国鞆に亡命していた足利義昭に養子入りを申し出て、武家政権を建てようとしたが、結局、近衛家猶子となって関白の位に就いている。
徳川家康は、源氏の権威に注目し、源氏の一族を自称する様になった。征夷大将軍任官と共に源氏長者の地位も手に入れており、以後、歴代の将軍は源氏長者になっている。

東條英機[編集]

太平洋戦争中の内閣総理大臣大日本帝国陸軍大将東條英機は、陸軍大臣だけではなく参謀総長も兼任し、統帥権干犯と言われ、憲法違反の疑いがあるといわれ、政敵から「陸軍幕府」、「東條幕府」と非難された。東條英機はこれに対して徹底的に言論弾圧を行った。

日本の幕府[編集]

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  1. 鎌倉幕府や建武新政では、女系でしか繋がらない摂関将軍や源氏とはるかに遠縁である皇族将軍もあった。