魚津市

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魚津市(うおづし)とは、富山県北東部に位置する市。魚津漆器などの工芸品でも有名。

うおづし
魚津市
日本
地方中部地方
北陸地方
所属富山県新川地区
人口41,467 人
面積200.61 km2
人口密度206.70 人/km2
公式サイトwww.city.uozu.toyama.jp
自治体の花カノコユリ
自治体の木マツ
備考市の花木はツツジである。
Wikipedia-logo.png魚津市
役場・中心施設位置富山県魚津市釈迦堂1丁目10番1号
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概要[編集]

うおづし
魚津市
魚津市章.png
市町村コード16204-3
法人番号9000020162043
市長村椿晃市長
副市長四十万隆一副市長
人口増加率-4.5%
世帯数17,059戸
主な道路国道8号線
観光地魚津水族館魚津埋没林博物館など

富山県の県庁所在地、富山市から東へ25㎞ほどの場所に存在し、「蜃気楼」「埋没林」「ほたるいか」を市の奇観としている[1]。人口は4万人ほどだが、富山県新川地区の中心を担っている。

地理[編集]

市の南東部は北アルプスの山々に覆われている一方、海にも面している。また海底も急斜面となっており、少し湾に出ればかなり深部まで到達できる。この海中の地形の影響で良い漁場が形成された。そして山から海(富山湾)までの距離が25㎞と非常に短く市域の約7割が急峻な山地となっており、前述のように南東部は山地、市中央部では台地、市北部では低地をなしている[1]。住宅街は本江地区、吉島地区や魚津駅西口周辺など比較的低地周辺に集合している。また魚津市内は国道8号線が通っており、交通量も多い。

歴史[編集]

魚津は旧来から「魚堵(おど)」と称し、小戸ケ浦・小戸・小津とも呼称されてきた。しかし漁業が盛んということで「魚津」に名称が変わったとされる。「魚津」に名称が変わった年代はそれほど古くはなく1476年また1595年に変更されたという文献が存在する。魚津には、桜峠遺跡という遺跡があり、そこからは回転押型文土器が発掘されており、縄文時代早期(約6~7000年)に形成されている。

戦国時代[編集]

魚津市鹿熊字城山に松倉城が建築されました。この城は越中最大の山城です。南北朝時代に建築され、周辺地域の要として重要な役割を果たしていました。山と海に囲まれており攻め落とされにくい地形ということもあり、升形城と北山城と共に城郭をなしてきました。

江戸時代[編集]

魚津城代が新川郡を統轄していたものの1615年に発出された一国一城の令の影響で魚津城は廃城となってしまいました。そのため、魚津城代は魚津町と新川町の二つの町を治めていましたが、1660年万治3年)に「魚津町奉行」と「新川町奉行」が明確に差別化されました。

明治時代[編集]

廃藩置県後、現在の富山県東部は「新川県」として独立し、当時の魚津町に県庁がおかれました。その後石川県に吸収合併されましたが最終的には富山県に吸収されました。富山県に合併された後は新川郡役所が置かれ郡の中心を担っています。

大正時代[編集]

1918年大正7年)7月23日米騒動が起こりました。シベリア出兵の影響で輸送船に米が積み込まれる様子を主婦たちが見て、米の価格高騰を危惧する主婦たちが蜂起しました。積み出しが中止されてからというもの、町内の米屋に百人単位で押し寄せ、この騒動は全国に拡大していきました。

昭和時代[編集]

1952年昭和27年)4月、1町11か村が合併し、魚津市が市制施行。魚津町、下中島村、上中島村、松倉村、上野方村、下野方村、片貝谷村、加積村、道下村、経田村、天神村、西布施村の1町11村の合併が実現し、「魚津市」として新しい一歩を踏み出し始めました。市制施行後直後に起こったの大水害、昭和31年の「魚津大火」などの災害を受けながらも復興し、富山県東部の中心都市として機能を担ってきました[2]

行政[編集]

首長[編集]

魚津市長:村椿晃 魚津副市長:四十万隆一

教育[編集]

小学校は5校、中学校は2校[3]。中学校は「西部中学校」「東部中学校」の2つで名称は至って単純である。

公共機関[編集]

警察署[編集]

消防署[編集]

この2つは同じ位置に存在する。

その他[編集]

観光[編集]

蜃気楼とホタルイカと埋没林を三大奇観としてPRしている。

蜃気楼[編集]

魚津市は、江戸時代から蜃気楼の街として広く知られている場所であった。一度見た蜃気楼は二度と同じ形で出現しないといわれており、現代の人をも魅了している[4]。蜃気楼は春から初夏に出現する。市内の北部の海沿いにはしんきろうロードと呼ばれる道があり、週末は観光客でにぎわうことも多々あるという。観光客に蜃気楼を楽しんでいただけるように蜃気楼の出現情報がメールで届く「しんきろう通信」やBクラス以上の蜃気楼が出現したとき花火を上げるという取り組みも存在する。[5]

ホタルイカ[編集]

ホタルイカの産卵期である3月から6月には、ホタルイカの身投げと呼ばれる行為をメスが行う。このことで夜になるといくつものホタルイカ青色に発光し、海岸が青白い幻想的な色で包まれることもある。自然保護の観点と産業的な観点の二つの観点から1952年昭和27年)に魚津市と近辺に位置する富山市滑川市の海岸と海[注 1]は、「ホタルイカ群遊海面」として国の特別天然記念物に指定された。

埋没林[編集]

埋没林」も参照

埋没林は文字通り、地中に埋もれた林である[6]

交通[編集]

主要な高速道路や電車は全て海岸沿いの低地に存在するため、山地部の人口は減るばかりである。新幹線の最寄駅は黒部宇奈月温泉駅

電車[編集]

高速道路[編集]

国道[編集]

施設[編集]

娯楽施設[編集]

博物館など[編集]

文化施設[編集]

遺跡・伝統[編集]

  • 桜峠遺跡出土土器 - 回転押型文の尖底土器。富山県の中で最も最初に発見された土器である。縄文時代の遺跡は富山県にとって珍しいものである。富山県の史跡に指定されており、縄文時代早期(約6000~7000年前)から 中期(約4000年前)にかけての集落遺跡である。
  • 大光寺遺跡出土の火焔土器 - 火焔土器は、1967年の調査で富山県のみならず東北地方や中央高地などの地方でも発掘された。この土器は、曲線と直線の模様が描かれており、上部にはいくつかの突起が見られる。なお、魚津市内で作成されたものではなく、新潟県長岡市馬高遺跡や十日町市の笹山遺跡から持ち込まれたものと考えられている。富山県内の朝日町からも火焔土器が発掘されている。
  • 木造十一面観世音菩薩立像 - この立像は鎌倉時代、松倉城主の椎名氏の守護仏として信仰されていたという。しかし外部から攻め落とされた際、神宮寺に置かれたものだと言い伝えられている。立像の一部はあとから修理されたと考えられている。現在は保存されていないものの左手は下腹部で宝瓶を握り、右手は錫杖を握っていたとされている。身丈は55㎝で杜松の一木造り。
  • 前田利長肖像画
  • 近世武具類
  • 獅子頭及び面
  • 魚津漆器 - 江戸時代では藩内で漆器づくりが盛んだったものの現在は1軒のみ漆器を製造している[7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 常願寺川東岸から旧魚津町の間の海岸から約1.3kmまでの海面
  2. 「音響家が選ぶ優良ホール100選」に選出された。

出典[編集]

  1. 1.0 1.1 https://www.city.uozu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=436 魚津市公式ホームページ・魚津市の概要、2020年5月21日閲覧。
  2. https://www.city.uozu.toyama.jp/guide/svGuideDtl.aspx?servno=1903 魚津市公式ホームページ・魚津市の歴史、2020年5月23日閲覧
  3. https://www.gaccom.jp/smartphone/search/p16/c204_public_es/ Gaccom・魚津市の公立小学校、2020年5月24日閲覧
  4. https://uozu-kanko.jp/basic/uozu.html
  5. https://uozu-kanko.jp/basic/uozu.html 魚津市公式ホームページ・観光 蜃気楼、2020年5月21日閲覧。
  6. https://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/maiboturin/index.html 魚津埋没林博物館・埋没林、2020年5月21日閲覧。
  7. http://www.nice-tv.jp/~rekihaku/syozou.html 魚津歴史民俗博物館・主な所蔵品、2020年5月21日閲覧。