中華民国
中華民國 Republic of China | |
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台湾(中華民国)の国旗 | |
首都 | 南京(1949年12月7日まで) 台北(1949年12月7日から) |
公用語 | 中華民国国語 |
建国日 | 1912年1月1日 |
解体日 | 1949年10月1日 or 1972年9月29日 or まだ(国家としている国もある) |
通貨 | 新台湾ドル(TWD) |
人口値 | 2234万人(2001年) |
面積値 | 約3万7千km2 |
中華民国(ちゅうかみんこく、中華民國、Republic of China)とは、1912年に建国された共和制国家である。現在は台湾を実効支配している。台湾の語源は、不明確であるが、マレー系の先住民が外来者や客を「ターヤン」と呼んでいたからという説が有力である。そのほか先住のタイボアン族(TaivoanまたはTevorang)に由来するという説もある。面積は3万6985平方キロメートル。人口は2001年の時点で2234万人。首都は台北(タイペイ)。
概要[編集]
国号は「中華民国」であり、公用語での名称は「中華民國」(注音符号:ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄨㄛˊ)となる。政治体制は共和制を採用した。国家元首は総統である。総統と聞くとアドルフ・ヒトラーを連想させるが、中国語の総統の英訳は「fuhrer」ではなく「President」であり、日本語に直せば大統領となる。
地理[編集]
従来より、中華人民共和国やモンゴルを含む広大な地域の領有権を主張していたが、2022年現在、実効支配しているのは台湾島および福建省沿岸の小島のみである。
最高峰は玉山で、富士山よりも高い標高3,952mである。
主要都市[編集]
歴史[編集]
台湾はかつて、大陸の支配が及んでいなかった。17世紀に、北部がスペインの、南部がオランダの植民地になるが、紆余曲折を経て1683年に清に征服された。その後台湾は、日清戦争後の1895年に日本に併合された。
大陸では、辛亥革命により清が打倒されたことにより1912年に、中華民国が建国される。1916年に袁世凱が中華帝国の成立を宣言するも、短期間で退位、次いで1917年7月に清末の宣統帝が半月ほど復位するも崩壊し、中華民国へ戻る。また領土の一部が1932年に満州国として独立宣言するが1945年に満州国が崩壊することにより再び中華民国に復帰した。また1945年、日本領であった台湾が中華民国に編入される。
国共内戦により中国国民党と中国共産党の武力衝突が発生し、中国共産党が中国大陸を実効支配すると中国共産党は中国大陸に「中華人民共和国」を建国する。中国大陸を失った中国国民党は台湾に移転し、中華民国は台湾と周辺諸島と福建省の金門島などを実効支配するようになる。以降、大陸の中国共産党による中華人民共和国と台湾の中国国民党による中華民国が正統性を巡って争うことになる。
1971年に国連の代表権を失って以降、日本や米国など多くの国と断交するが、経済交流は活発に続けている。中華民国は1987年まで中国国民党の一党独裁体制であったが、戒厳令が解除されたことにより民主化し、現在に至る。1人当たりのGDPは世界平均を上回っており、比較的裕福な国といえる。
中華人民共和国が掲げる「一つの中国」という政策上、中華民国を承認している国家は15ヵ国である。その承認国も地理的には中国から離れており、太平洋の島国などにとどまる。
旅行[編集]
観光目的での90日以内の滞在ならビザは不要である。新型コロナウイルス対策として、観光(一般的社会訪問を含む)以外の事由で訪台を希望する外国人については、外交部が海外に持つ在外公館で、必要書類を提示して特別入国許可を申請することが可能である。 日本からも近いため、それなりに安く旅行できる。大日本帝国の植民地だった時代の近代建築は、本国とは異なる奇抜なデザインのものが多く、なかなか見ごたえがあるらしい。
外交[編集]
1972年の日中共同声明により日本は中華民国(台湾)との外交関係はなくなったため、非政府間の実務関係を主体とする。日本側は公益財団法人日本台湾交流協会(東京本部、台北・高雄事務所)を設置しており、台湾側は台湾日本関係協会(台北本部、東京・大阪事務所、札幌・横浜・福岡・那覇支所)を設置している。
輸出入のうち輸出においては古くから米・砂糖・後者・樟脳・材木などを含めなど経済的な交流は多くあった。2019年における日本への輸出は232.9億ドルである。近年では半導体や金属加工品・プラスチック製品なども多い。
これに対して日本からの輸出が440.4億ドル(2019年)あり、工作機械や医療器具などが知られている。
台湾には親日の人々は少なからずいるが、おおむね三世代にわかれる。いわゆる「多桑(トウサン)世代」と日本とは距離を置くその子供世代、李登輝による開放政策によって増えた現在「親日派」と呼ばれる哈日族という若手世代がいる。人々が多くおり、
同様日本人も台湾に好感を持つ人物が多い。だいたい国父と呼ばれる孫文は二度日本に亡命しており、李登輝は日本人で元京大生である。
一方中国(というか、中国共産党と中華人民共和国)との関係は元々敵同士であるので、至って険悪であり、今でも熾烈な対立が続いている。また、オリンピック委員会初め、大半の機関が台湾を国と認めてない故に、チャイニーズタイペイ(中華台北)などで呼称されている。
統一地方選挙について[編集]
6直轄市を含む全土の22県、市長をはじめ郷、村などの行政区の首長や議員らおよそ1万1000人余り(いずれも任期4年)を選ぶ。総人口およそ2万350人のおよそ7割を占める。
中国語との違い[編集]
中華人民共和国では簡体字を使用するが、中華民国では繁体字が正式である。台湾で日常的に使われている主要言語の公用語は中国語(北京語・普通語)である。そのほか台湾語も使用される。
日本での台湾の呼び方[編集]
日本では高山国(こうざんこく)と呼ばれた。これはタカサグンに当てた文字であるという。江戸幕府は高砂国の文字が当てられている。なお、豊臣政権も江戸幕府も、台湾は明とは別の国家と見なしており、服属を促す書状を出したり、渡航朱印状を発給したりしている。
日本政府は「中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重」する立場であるのが公式見解である。それにも関わらず「中華民国」相当の意味を通称として「台湾」と呼ぶことがある。2020東京オリンピックでNHKのアナウンサーがチャイニーズタイペイ選手団を「台湾」と呼称していた。また蔡英文総統のTwitter発言「日本の茂木敏充外相が本日、台湾に対する4回目のワクチン供与を発表しました。」(2021年9月3日)は地理的名称の「台湾」ではなく、中華民国の意味を含ませた「台湾」と解釈する方が自然ではなかろうか。台湾(TAIWAN)を便宜的に国名の意味で使用する場合も多いわけである。
そもそも、日本と中華民国とは正式の国交がないわけであるから、日本政府は「台湾」を「中華民国」と呼称することができない。外務省サイトでは「台湾」としている[1]。文中に「総統 蔡英文」と記載があるのは、単なる島の名称として「台湾」を使っているわけではない。
台湾の統治[編集]
現在の「台湾」における政治体制を十分理解するためには、中華民国となる以前の状況を知る必要がある。そのため、以下の記述を書き加える。
1544年に台湾島を見つけたポルトガル人船員がフォルモサ(麗しの島)と叫んだことから、台湾島はフォルモサ(美麗島)とも言われた。1593年、豊臣秀吉は台湾に入貢を促した。 1622年、明軍とオランダ軍は8ヶ月に渡る戦火を交え、明はオランダが台湾に入ることを認めた。1624年、オランダの東インド会社が台湾を制圧し、オランダの統治下にはいった。オランダはゼーランジャ城、プロビンシャ城を造った。マーチヌス・ソンクがオランダの初代行政長官となる。その後、スペイン人が台湾に進出し、台湾北部を制圧した。1642年、オランダ軍は艦隊を派遣し、スペイン人を追い出した。1661年、鄭成功は台湾からオランダを追放し、鄭氏政権が成立する。 15世紀頃から漢民族の移住が始まり、1683年に鄭氏政権が降伏した後、清の支配下に入る。1885年に福建省から分離し、1887年に省に昇格する。1894年からの日清戦争で清が大日本帝国に敗北し、1895年の下関条約で清は台湾を大日本帝国に割譲することになる。
軍事[編集]
台湾の主なメディア[編集]
参考文献[編集]
- ↑ 台湾(Taiwan)外務省,令和3年1月14日