下級国民

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下級国民(かきゅうこくみん)とは、上級国民に対する対義語であり、支配される側の一般の国民のことを言う。単なる「国民」と呼ばれるが、一般国民(いっぱんこくみん)、愚民(ぐみん)、庶民(しょみん)などとも言われる。

概要[編集]

上級国民とは2015年頃に流行ったネットスラングである[1]。当時、デザイナーの佐野研二郎が制作を担当した2020年東京オリンピックエンブレムにパクリ疑惑が持ち上がり、それを受け問題のエンブレムの使用中止を決めた東京五輪組織委員会事務総長の武藤敏郎による記者会見での発言、「佐野さんの説明は専門家の間では十分分かり合えるんだけれども、一般国民には分かりにくい」が発祥である。会見後にネット上で「一般国民には分かりにくい、という発言は、自らを上級国民であると認識した上での差別的発言」などと言われ、そこから「上級国民」という表現が盛んに使われるようになった[1]

下級国民には以下の特徴がある。

逮捕
交通事故を起こして相手を負傷あるいは死亡させたり、飲酒運転をしたり、脱税など経済犯で犯罪を犯した場合、下級国民の場合だと大抵は逮捕される。上級国民は「逃亡の恐れがない」「証拠隠滅の恐れなどがない」として逮捕を見送られたり、書類送検されるにしても相当な長時間を置くのに対して、下級国民だと現行犯逮捕か少々時間を置いてから逮捕となる。なお、下級国民ならばなぜ容赦なく逮捕するのかというと、逮捕すれば検挙率が上がり、それが警察の成績となるからとする説もある。また、下級国民の場合ならば警察側の誤認逮捕を除けば社会に与える影響が乏しいことも理由とされる。
敬称の問題
下級国民の場合は、大抵は実名を公表され、その後に「容疑者」か「被疑者」と言われるようになる。しかし上級国民の場合は元の地位などから敬称をもって呼ばれ、犯罪者扱いすらされない。
匿名報道
民法報道番組などにおけるスポンサー企業への配慮のため、過剰な配慮が行われ、報道倫理上の公平性が損なわれる危険性が指摘されている。
裁判
下級国民の場合は上級国民と比較して送検や裁判がスピーディに行なわれる。実例として、2019年4月19日池袋乗用車暴走死傷事故を引き起こした飯塚幸三は未だに逮捕も裁判もされていないが、その2日後の4月21日神戸三宮バス暴走死傷事故を起こしたバス運転手は10月30日神戸地裁で禁錮3年6か月(求刑禁錮5年)を言い渡された。飯塚の場合は死傷者の数が多いため、送検が長引いているとされているが、三宮事故は飯塚の事故より負傷者の数が4人ほど少ないだけで、死者の数は同じであり、送検が長引く理由になっていない。
マスコミ対応
下級国民の場合、事件や事故で時の人になると、マスコミが家に押しかけたり、少なくとも事件や事故と関係のない家族にまで報道・取材を加熱して行う傾向、いわゆる偏向報道がある。上級国民の場合はマスコミが配慮してそのような報道や取材はほとんど行なわない。また、下級国民は知識に乏しかったり低脳な人物も少なくないため、マスコミや政治家の報道や言葉にすぐに乗せられたり、記憶力が悪くて時間が過ぎたら忘れてしまう特性を利用されたりする場合もある。
医療
下級国民の場合、上級国民より医療、入院などは後回しとされる。新型コロナウイルスのワクチン摂取においても後回しにされる模様である。

下級国民と見なされる者[編集]

要するに、上級国民と閨閥・縁戚関係が存在せず、自身も何ら社会的影響のある身分についていない者が該当する。

実例の比較[編集]

左は上級国民 - 右は下級国民を指す。

下級国民と上級国民の差[編集]

上級国民は事件を起こす前に大抵、「国に貢献している」から特別待遇を受けるとされる。それに対して下級国民は「国にほとんど貢献してないのだから」文句を言うな、と見なされている。そのため、下級国民の場合には厳しい「納税の義務」「勤労の義務」があり、上級国民の場合は逮捕されない案件でも下級国民ならば逮捕は当然のように行なわれ、そして一切の文句を言うことはできない。

下級国民の歴史[編集]

そもそも下級国民は日本には昔から存在している。奈良時代貴族に対して税金を納めていた百姓などがそれに当たる。武士が政権を握った時代にも百姓や商人などが下級国民に当たっていた。江戸時代に入ると下級国民に対する締め付けはさらに厳しくなり、徳川家康の家臣・本多正信が「百姓は生かさず殺さず」の統治方針を提言し、江戸幕府士農工商という厳しい身分制度を定めている。この身分制度の下で武士には百姓、商人らを斬り捨てることができる「斬り捨て御免」の特権も存在しており、また江戸時代には直訴も許されず、政治に文句や意見を言うことは許されなかった[2]

明治時代になると四民平等が採用されたが、やはり身分差は存在している。事例として1878年大久保利通暗殺される2か月ほど前、同じ薩摩藩出身の黒田清隆の妻が不審死を遂げた。一説に黒田が妻を殺したとされ、実際に大隈重信伊藤博文らが黒田の処罰を求めたが、大久保が黒田をかばい続けてこの事件は有耶無耶の内に終結している(ただし、黒田が妻を殺害したとする証拠は無く、当時から噂として挙がったとされている)。また、昭和に入って日本は軍国主義の道を歩むが、その契機となった血盟団事件5.15事件などで容疑者は厳しい処罰を受けていない。

このような身分差に対し、室町時代中期には下級国民が土一揆を起こしたりしている。江戸時代中期には各地で打ちこわし百姓一揆が起こされ、下級国民は各地で抵抗している。これに対して上級層は厳しく取り締まったが、加賀一向一揆のように加賀国そのものが「百姓のもちたる国」になったりした例もある。江戸時代の一揆や打ちこわしは、当初は厳しい弾圧のため下級層の訴えは大抵却下されたが、中期になって大名の力が衰退しだすと下級国民の力が侮りがたくなり、江戸時代末期に起こされた一揆や打ちこわしでは上級側が下級側の訴えをある程度かあるいは全面的に認める、認めざるを得ない事態となっている。

脚注[編集]

  1. a b 『実話BUNKAタブー』2019年7月
  2. ただし武士なら誰でも斬り捨てて大丈夫というわけではない。その行為に問題があれば、当然処罰の対象にはなった。