黒田清隆
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黒田清隆(くろだ きよたか、旧字体:黑田 淸隆、1840年11月9日(天保11年10月16日〉- 1900年〈明治33年〉8月23日)は、日本の政治家 [1]、陸軍軍人。1888年4月30日から1889年10月25日まで日本の内閣総理大臣を務めた。
概要[編集]
1840年、薩摩国鹿児島城下新屋敷通町にて生まれた。維新前の通称は了介。維新前は薩摩藩士として砲術の使い手だった。
開拓使次官を振り出しに明治新政府でも活躍。1888年4月30日に首相に就任し、首相退任後は枢密顧問官を経て元老となった。
1900年8月23日に脳出血の為死去[2]。享年59歳。酒乱のため晩年は薩摩の人々の人心から離れていった。
出典[編集]
- ↑ 日本大百科全書(ニッポニカ)「黒田清隆」(コトバンク)
- ↑ “歴代総理の胆力「黒田清隆」(2)酒乱で妻を殺害したと風評が…”. エキサイトニュース. (2019年5月23日) 2021年2月12日閲覧。